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 第五章 福井平野に広がる東大寺の荘園
   第一節 初期荘園の成立と経営
    四 経営組織の性格と初期荘園の没落
      雇傭・賃租関係の背景
 越前国東大寺領荘園の特色を畿内型の荘園との対比で述べてみたが、いずれにも共通する特色も少なくない。これまでたびたび強調してきたように、古代の荘園は、開発・寄進・買得などによる墾田地の集積によって成立したので、本来その耕作者をほかに依存しなければならなかった。そのときに一般的にとられた関係が賃租であって、一年契約の土地の貸借関係である。また、臨時に多数の労働者を必要とする溝の開削や建物の建造・移築、また日常農作業のなかでも一時的に多数の人手を必要とする舂米作業などには、雇傭労働力が重要な役割を果たしていた。  このような賃租や雇傭の関係は、そのものとしては一種の契約関係で、永続的な隷属関係ではない。ただし、これらの関係が結ばれる契機として、その土地の豪族と百姓たちとの伝統的な人間関係が重要な役割を果たしていたことは十分想像できる。とくに、郡司などのその地の豪族の権威がそれら労働力の徴募に重要であったことは、従来から強調されてきたとおりであろう。  しかし、そのような伝統的な関係と重なりながら、一方でそれとは異質の動産を媒介とする契約の論理で荘園が運営されるのは、どのような社会関係が背景にあるからであろうか。まず考えられるのは、いわゆる「公民制」のもとで、公民の労働力は国家に所属するという理念が存在したことが挙げられる。これによって、公民の労働力を私的に隷属させることは国家によって抑制されており、いきおい期限を限った契約的な労働力調達に依存しなければならなかった。
 次に、伝統的なムラの「共同体」をこえる労働力を編成することが、とりわけ大規模な開発で必要とされ、その地域の公権力をになう国司・郡司によって実現されたことが重要である。この点は、たんに荘園の経営のみでなく、窯業や製鉄・製塩などの地域の手工業の経営にも現われていた。総じて律令国家は地域の産業を上から強制的に育成するために、経済性を無視した大規模な事業計画を敢行した(北陸古代手工業生産史研究会『北陸の古代手工業生産』)。越前国の初期荘園も、実はそのような律令国家の国家的大事業の一環ではなかったか。  一方農民の側からいえば、個別の農民を結び付けていた旧来の共同体的な関係が、とくに新たな開墾を契機とする荘園では弱くなっており、個々の農民が経営の不安定性を補うためには、豪族や国家の動産に依存せざるをえない状況を生みだした。いいかえれば、地域の農民たちは荘園に結びつかねばならない状況のもとにあったともいえるわけで、それが動産を中心とした関係であったことはうなずける。  しかし、以上のような政治的強制力に依存する関係は、農民の成長や地域を支配する豪族の弱体化によって危機を迎える。とくに畿内近国の先進地帯ではその方向が顕著にみられ、それに応じて初期荘園も二次的に再編成されねばならなかった。越前国の場合は、その編成を行う対象となる中堅農民は未発達で、一方では律令制の地方支配の衰えと、中央での東大寺の政治的・経済的な地盤沈下ともあいまって、初期荘園の次の時代への再編成は大部分失敗せざるをえない状況であった。初期荘園は決して越前国のそれで代表されるわけではないが、律令国家のもとでの荘園経営の特色が最もよく現われているということはいえるであろう。
 このように述べてくれば明らかなように、初期荘園の衰退は決して地域全体の衰退を意味しないことを強調しておきたい。中堅農民の未熟性を指摘したが、それはあくまで畿内先進地帯と比較してのことで、北陸の当地でも確実にそのような新興勢力が台頭しつつあった。それがどのように次の時代をきりひらいてゆくかは別に考えねばならない重要な問題である。



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