敦賀郡は古代から越前国に属し、その範囲は現在の敦賀市域のみならず丹生郡や南条郡の一部をも含んでいた。その郡域はリアス式海岸の若狭湾東端に位置する敦賀湾をU字形に囲む形をなす。敦賀平野は琵琶湖北部の破砕帯に位置し、何本もの断層に刻まれ海抜八〇〇メートル前後の定高性の湖北山地を背にしており、木ノ芽川・笙ノ川・黒河川・井ノ口川の堆積作用によって形成された複合扇状地である。若狭湾岸では他の平野に比べるとまとまりのある広さをもっているが、条里地割は平野の一部にしかみられない。
この平野最大のまとまった条里地割の分布地域は、平野東部の旧中郷村から旧東郷村南部にかけての、高野断層線の断層崖前面に広がる笙ノ川と木ノ芽川とに挟まれた扇状地末端部で、地形的に比較的安定したところである(図83)。道口・古田刈・長沢・坂ノ下・吉河・中・高野・谷・舞崎などの地区にわたって面積約九〇町の規模で分布する。地割は、ほぼ正南北方位をとる。木ノ芽川右岸では旧東郷村余座・大蔵の余座池見を除く部分にも正南北方位の条里地割がみられる。また気比の松原南側に位置する松島・三島・津内・野神にもかつて、それぞれ正南北方位の条里地割がみられたが、この地域の一部は新笙ノ川の開削のために昭和六年までに潰廃した。平野西部を流れる井ノ口川中流域、木崎集落付近右岸の自然堤防帯にも若干分布する。井ノ口川の支流落合川上流部の沓見に、旧中郷村に次ぐまとまった条里地割の分布がみられる。 |