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 第四章 律令制下の若越
   第三節 都につながる北陸道
    一 官道の役割
      朝津駅
 丹生駅から朝津駅に至る官道は、国府から東に直線で杉崎山の北に至り、ここから北の福井市浅水地区鼓山に向かって進む直線道路を官道とする説(金坂清則「古代越前国地域整備計画についての一試論」『日本海地域史研究』五)、鯖江洪積台地の東縁を北上し、水落から東の集落下河端を経由して旧浅水川に沿って朝津駅に至る道を官道とする説(真柄甚松「越前国」『古代日本の交通路』二)、日野川の西を北上して朝津駅に至る説もあって定説をみない。朝津駅は浅水地区に比定される。このあたりは浅水川が流れ、「水」とのかかわりの多い地域である。泰澄の父は麻生津の渡し守であったという伝説(『越前若狭の伝説』)から官道が走っていたことがうかがえる。小字「末次」は「馬次」を「末次(まつぎ)」と書いたことからそれがスエツギと読まれるようになったのではなかろうか。



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