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 第四章 律令制下の若越
   第三節 都につながる北陸道
    一 官道の役割
      淑羅駅
 淑羅は「シラギ」「シクラ」と読み、日野川を淑羅川という。『越藩拾遺録』に信露貴川は「南条郡夜叉ガ池ヨリ流レ出。今庄川・日野川・白鬼女川・石田川トモ云。信露貴ト云ハ信露貴ノ神社ト云。白貴彦ノ命ノ神社今ノ夜叉ガ池也」とあり、信露貴川の由来について述べている。今庄には新羅神社があるなど、日野川の上流は渡来人とくに新羅人とのかかわりが深かったと考えられる。この川に近接した集落に「鯖波」がある。鯖波は古代「淑羅川の村」とよばれていたのではないだろうか。だから鯖波に置いた駅を淑羅駅といったのではないか。また、『延喜式』の写本によっては「淑羅」は「済羅」と書きサハアミとよんで、南条郡鯖波に比定する説もある(旧『福井県史』、『南条郡誌』)。鯖波には官道のほかに、古来河野浦から河野川をさかのぼって菅谷に至り、ここからホノケ山の北の菅谷峠(海抜五七二メートル)を越え奥野々を経由し、鯖波で日野川を渡り牧谷に至り、ここから日野山の東の牧谷峠(海抜四八八メートル)を越えれば味真野に到達するルートが通過していて、交通の要衝であったといえる。官道は東大道・国兼(国兼にある八幡神社には式内社天八百万比神社・高岡神社・天国津彦神社・天国津比神社を祀る)・白崎・塚原・妙法寺から丹生駅に至る。



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