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 第四章 律令制下の若越
   第一節 地方のしくみと役人
    二 若越の郷(里)
      大野郡の郷(里)
 『和名抄』(高本)によれば、大野郡には大沼・大山・尾屋・資母・出水の五郷をあげ、『和名抄』(急本)では、足羽郡の郷の誤って入っているものを除けば、大沼がみえないかわりに加美をあげる。また尾屋は毛屋とする。

表22 大野郡郷(里)名

表22 大野郡郷(里)名

 大沼郷は長岡京木簡にみえる。一方式内社名には「国生大野神社」がみえ、大野市街西部の清滝神社に比定されている。野と沼が相通じることは江沼郡(与野評)のところで述べたとおりであり、大沼郷はすなわち大野郷である。諸説の述べるように大野市街地を故地としうるであろう。
 大山郷は、のちに長承二年(一一三三)六月十四日付「官宣旨案」(編七七〇)にみえる「小山郷」にうけつがれたと考えるとすれば、大野市街の南部一帯に比定しうる。
 毛屋郷は高本では「尾屋」につくるが、長岡京木簡に「大野郡毛×」とあるのを参照すれば、急本の「毛屋」が正しいと思われる。比定地は勝山市の下毛屋・猪野毛屋付近を想定しうる。
 加美郷は高本にみえないが、長岡京木簡に「上郷」とみえる。大野盆地の南部旧小山村と上庄村のあたり、前記大山郷の南東に比定しうる。
 資母郷は平城宮木簡に「下郷」とみえる。大野市北西部の真名川に沿う旧下庄村一帯が故地と考えられる。
 出水郷は長承二年正月二十七日付「官宣旨案」(編七六八)・同年六月十四日付「官宣旨案」にみえる「泉郷」につながるとすれば、大野市街の東北部に比定しうる。



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