目次へ  前ページへ  次ページへ


 第二章 若越地域の形成
   第二節 継体王権の出現
    一 継体天皇の出自
      息長氏の性格
 息長氏は、オキナガタラシヒメ(神功皇后)によって古代史上有名な氏族であるが、神功皇后の実在性については多くの議論があり、その系譜の古い部分は信頼性に乏しい。しかしオキナガタラシヒメがホムタワケ(応神天皇)の母と位置づけられている伝承は、応神天皇が継体天皇の五世の祖と伝えられているだけに、無視しがたい重みをもっている。
 息長氏が史上に確実な姿を現わすのは、息長真手王の娘麻績娘女が継体天皇の妃の一人となり、また同じ真手王の娘広姫が敏達天皇(継体天皇の孫)の皇后となってからであろう(ただし同一人物が祖父と孫とにその娘をめあわすなどということはまずありえず、ここには何らかの錯誤あるいは作為がはいっているのであろう)。息長氏はおそらく近江を地盤とした豪族であろうが、突如として敏達天皇の皇后を出しうるはずはなく、それ以前から蓄積した勢力や、皇族との縁故があったはずである。その一端が麻績娘女の伝承として現われているのであろうが、継体天皇自身を息長氏の一族と考えるとき、より明確にこの結びつきを理解することができる。
 継体天皇の息長氏出身説は多くの学者によって説かれている(岡田精司「継体天皇の出自とその背景」『日本史研究』一二八など)。息長氏は天武朝に真人姓を与えられている。また皇統系譜についても、『上宮記』において継体天皇の曾祖父とされるオホホトが『記』では息長氏の祖となっている。このように、継体天皇の出身氏族と考えられる息長氏は朝廷において特別の皇親待遇をうけていた。



目次へ  前ページへ  次ページへ