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 第二章 若越地域の形成
   第一節 古墳は語る
     四 古墳からみた継体王権
      継体天皇の擁立基盤
 表7は、五世紀末〜六世紀前半の全国の大型前方後円墳の分布をまとめたものである。この表から、全国的にみた場合越前の前方後円墳の規模は、決してほかに勝るものではないことがわかる。むしろ普通であるといった方がよい。ただ、中・小型の前方後円墳が一一基も集中する横山古墳群は特異であり、注目に値する。

表7 全国の大型前方後円墳(5世紀末〜6世紀前半)

表7 全国の大型前方後円墳(5世紀末〜6世紀前半)
 このことから、継体天皇は越前の振媛(母)方の勢力もさることながら、むしろ彦主人王(父)方(畿内北部と近江・美濃)や数多い皇妃方(越前・近江・河内・大和・尾張)の勢力、さらには継体天皇擁立を支持した大伴氏や河内の豪族などの畿内勢力の結集と推挙とがあって皇位につくことができたといえよう。しかし、より限定していえば、六世紀初頭に東日本最大の前方後円墳である断夫山古墳(名古屋市)を築いた尾張氏(継体天皇の妃目子媛を出している)の後押しが最大の功績であったと考えてまちがいない。
 このように、古墳をとおして『日本書紀』『上宮記』の継体天皇関係記事をみると、その内容にそれなりの史的背景を読みとることができる。



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