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通史編序説
   原始より古代へ
    一 旧石器文化・縄文時代
      縄文時代の遺跡
 鳥浜貝塚(三方町)よりは縄文時代草創期・早期・前期にかけての生活文化を語る多量の遺物が出土した。三方湖に産する淡水産貝殻、若狭湾での漁撈を示す魚類の骨、獣類の骨、釣針などの漁具、弓矢などの狩猟具、石錘や土器・木製品、さらに真珠や漆塗品など豊富で多様な遺物群が確認されたのである。とくに注目されるのは、この鳥浜貝塚から二隻、付近のユリ遺跡から四隻の丸木舟が発見されたことである。これらの丸木舟は、縄文時代前・中・後・晩期のものであり、造船技術を知るうえでも貴重な資料である。
写真2 鳥浜貝塚の発掘

写真2 鳥浜貝塚の発掘

 縄文前期のころ海水面の上昇が著しく、海岸線が入り込み内湾や入江を形成した。福井平野一帯なども内湾をなしていたといわれる。このころの遺跡は多くは丘陵低地、丘陵台地縁辺部、河川の自然堤防などに立地し、その所在をたどって沖積作用による平野形成が推測される。近年、福井平野縁辺の地域などでも縄文時代遺跡の発掘調査が進められて、土器型式からも京畿その他東西諸地域との交流のあとが認知される。
 石徹白川右岸の小谷堂遺跡(和泉村)からは、縄文中期の竪穴式住居跡が県下でははじめて発掘されて、中期より後期にかけての石器・土器も出土した。その下流左岸の角野前坂遺跡や右岸の後野遺跡でも、同じく竪穴式住居跡が検出され、石器・土器も出土した。この地域出土の土器は飛騨地方と同種のものが多くみられる。



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