福井藩士履歴8 新番格以下1

福井県文書館資料叢書16 『福井藩士履歴8 新番格以下1 イ~リ』

 福井文書館資料叢書は、福井県の歴史解明において重要で、かつ一般利用者の閲覧要望が多い資料を活字化し解説等を加えて刊行してきました。
 このうち士分と呼ばれた上級~中級藩士の家臣の人事履歴、幕末期に新たに召しだされた藩士の子弟(303名)の人事履歴を刊行してきました。
 2019年度より、新たに下級家臣団約500家(明治以降のいわゆる卒身分に相当する 藩士の系)を対象とした人事履歴を刊行します。
 第一弾として『福井藩士履歴8 新番格以下1 イ~リ』を発刊します。

主な掲載人物

橋本 安治(小森 治郎吉)(はしもと やすじ(こもり じろきち))、
1839-1884)
小森篤平の養子。文久2(1862)年に浮下代として出仕。
維新後、慶応4(1868)年3月、三岡八郎(由利公正)とともに上京。同年5月、会計官判事筆生として明治政府に出仕。同時期に造幣権助、出納司大佑、出納司権正などを歴任。
明治9(1876)年、検査権頭。明治10 (1877)年、大蔵省権少書記官。
明治13(1880)年、精算局に異動。明治14(1881)年、国際局詰、調査局勤務。
正六位勲六等単光旭日章を授かる。
娘婿は橋本正治(大正期に鹿児島県知事、山口県知事を勤めた人物)。
庭瀬 孝一郎(にわせ こういちろう、生没年不明)
庭瀬万斎の子。安政7(1860)年に表御坊主として出仕。その後、御時計役、不寝役などを勤める。慶応3(1867)年5月、鳴物方、同年11月に喇叭役に任じられる。
維新後も引き続き、第二等楽手、楽隊世話役、楽手伍長など軍楽に関わる職務に従事している。
明治3(1870)年には、喇叭の修行を目的として鯖江藩に派遣されている。
富田 材輔(富田 厚積)(とみた ざいすけ(とみた あつみ)、
1836-1907)
富田為次郎の子。江戸で儒学者安積艮斎、安井息軒らに学び、文久4(1864)年に学問所句読師として出仕。以後、慶応4(1868)年明道館訓導役など藩校明道館に関わる職務に従事する。
維新後の明治5(1872)年、福井県下初の新聞「撮要新聞」を発行する。
明治12(1879)年、福井公立明新中学校長。
字(あざな)は美卿。通称は材輔、厚積。

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