福井藩士履歴7 子弟輩

福井県文書館資料叢書15 『福井藩士履歴7 子弟輩』

 福井文書館資料叢書は、福井県の歴史解明において重要で、かつ一般利用者の閲覧要望が多い資料を活字化し解説等を加えて刊行してきました。
 このうち士分と呼ばれた上級~中級藩士の家臣の人事履歴を昨年度までに刊行してきましたが、2018年度はそれに引き続く形で、幕末期に新たに召しだされた藩士の子弟(303名)の人事履歴を刊行しました。

主な掲載人物

八木八十八(日下部太郎)(やぎやそはち(くさかべたろう)、1845-1870)
 八木郡右衛門の長男。慶応元(1865)年に英学修行のため長崎に赴きました。
 幕府の海外渡航の禁令が解かれると米国留学の第一号に選ばれ、慶応3(1867)年横浜から出航、州立ラトガース大学に入学し、後の福井藩雇理化学教師W・E・グリフィスの指導を受けました。
 4年の課程を3年で習得し、常にクラスで首席を通しました。しかし明治3(1870)年、卒業を目前に病死してしまいます。その後、同大学より黄金の鍵(首席卒業生の証)が贈られています。
長谷部卓爾(はせべたくじ、1845-1910)
 長谷部甚平の長男。文久3(1863)年に航海術修行のため、兵庫に赴き勝海舟の下で学びました。
 明治2(1869) 年、箱館産物取締御用掛。明治5(1872)年、会計事務局に出仕。以後、箱館裁判所民政掛監察兼外国掛、徴士箱館産物取締御用、開拓使御用掛、開拓権判官、開拓少判官、開拓中判官などを歴任。
 明治6(1873)年より樺太支庁に在勤。明治8(1875)年、樺太・千島交換条約の実施のため理事官に就任。明治22(1889)年、山形県知事に登用されました。
 明治38(1905)年、貴族院勅選議員に任じられ、死去するまで在任しました。
団野確爾(だんのかくじ、1847-没年未詳)
 団野千久馬の養子。文久3(1863)年、芝御陣屋番士として取り立てられました。
 その後隊士として諸隊に配属され、天狗党の乱や会津戦争に従軍。明治2(1869)年、柔術世話役頭取となるが、翌年2月に土着開墾と一万五千坪の譲渡を願い出て許可され、帰農。
 同年閏10月、由利公正に随行した東京出張をきっかけに酪農家を志し、築地の牛馬会社や横浜在住の英国人から搾乳・製乳を学び、洋牛を購入して帰福。乳牛の飼育と牛乳の販売を開始します。
 事業は失敗に終わりますが、再興を図りそれが交同社(福井藩の士族が設立した活版印刷・牛乳販売の会社)の基礎となりました。

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