6 若狭・越前の成立(2) |
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こうみてくると、若狭・越前は天武・持統天皇のころ、すなわち7世紀後半、670年代以降に成立したと考えられるでしょう。683年から685年にかけて諸国の境を定めるという動きがありました。そのころ日本は律令体制への移行期にあり、689年には天武天皇の時から編さん中の飛鳥浄御原令が施行されます。そこでは地方行政機構の整備も進められます。若狭・越前に限らず、国の成立はこうした動きの中での出来事でした。 律令制下では国の下には、郡(7世紀は評)・里(後に郷)という行政機構が置かれます。 国の役人である国司は、都から派遣されてきました。それに対し郡司や里長は地元の豪族・有力者がなりました。中央役人によって地方を支配するという支配制度が、7世紀後半に誕生したのです。 |
![]() ▲丹生郡木簡(裏) |
![]() ▲丹生郡木簡(表) 奈良国立 文化財研究所蔵 |
![]() ▲越前国の移り変わり 拡大図 13KB |
![]() ▲和名類聚抄 複製 東京都 大東急記念文庫蔵 |