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 第六章 「地方の時代」の諸問題
  第二節 諸産業の展開
    五 商業の変革と動向
      中央卸売市場問題の台頭
 福井市で中央卸売市場の開設が問題となったのは、一九六三年(昭和三八)に福井食料品市場改善審議会が設置されたころからである。同審議会は、田原町の福井食品卸売市場の改善について諮問をうけ、その答申において、市場の抜本的改善を行うには既存の卸売市場を「中央卸売市場法」にもとづいて改組する必要があるとしたのである。この答申をうけて設置された福井市生鮮食料品流通機構改善研究委員会も同年一二月に答申を行ったが、その答申は、やはり福井市に中央卸売市場が早期に建設されることが必要であるとしていた。以後、福井市では六四年に中央卸売市場開設研究審議会が設置され、同審議会を中心に中央卸売市場の開設が検討され、六八年には福井市長が公式に中央卸売市場の開設を表明するまでになった(『新修福井市史』2、福井市『福井市中央卸売市場開設計画基礎資料』)。
 福井市が中央卸売市場の開設を考えるようになったのは、田原町の福井食品卸売市場ではハード、ソフト面とも限界がめだつようになったためである。取引量が増大するにしたがい敷地は狭隘となり、また施設も老朽化し、駐車場難のため荷さばきも渋滞した。また卸売人が多数いたため取引は不明確で不備な点が多かった。くわえて都市化の進展により市場に出入りする車が交通マヒを引き起こす原因ともなっていた。当時の物価問題も中央卸売市場の開設を促進した一要因である。「福井は物価が高くて暮しにくい」(『福井経済』60・7)という声は、高度経済成長のころよりしだいに強くなっていた。とくにこのような問題は、値上りの激しい商品としてつねに生鮮食料品に目がむけられ、消費者側においては物価上昇の原因として中間の流通機構、なかんずく卸売市場に問題があるとされた(『福井経済』63・11)。物価問題は、消費者側のみならず、六〇年代後半には県議会においても取り上げられた。六八年の議会において、ある議員は「物価は今日では最も重要な政治、社会問題でございまして、国民の関心も一番強いものがあります。……ここ数年来福井県の物価は高いというのが一般の常識のようになっているのであります」と述べている(『第149回定例福井県議会会議録』)。このころの議会では物価問題との関連において中央卸売市場の開設が取り上げられた。
 高度経済成長期に生鮮食料品の流通は大きく変化した。産地は大型化し、出荷も計画化され、輸送単位も大型化し、福井市のような小規模な卸売業者が多数いる市場では、まとまった入荷が望めないような状況となった。そのため入荷品も割高となることが多かった。福井市は、卸売市場の改善策として、卸売人を強化すること、集荷機能を拡大集中すること、大量集中取引によって中間経費の削減をはかることが必要となった(『新修福井市史』2)。



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