一九七一年(昭和四六)のだるま屋の増床計画の申請に端を発して、だるま屋とその付近の街区(中央一丁目第一地区)約一・五ヘクタールを再開発する計画がもち上がった。七二年八月には市街地再開発準備組合が結成された。この計画は、再開発地域を大きく商業中心と娯楽中心の二つのブロックに分け、その主要用途として店舗、映画館、ホテル、駐車場などを考えていた。なかでもこの時期のモータリゼーションの進展に対しては、全街区の駐車需要に対処するため立体駐車場を設置することを考えていた。しかし、この計画は商業地に大型店を二店舗収容することを構想していたため、準備組合内では意見調整がつかず、七六年には実現不可能なものとなってしまった(『福井商工会議所百年史』、本多義明・川上洋司『福井まちづくりの歴史』、『朝日新聞』76・9・9)。