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 第六章 「地方の時代」の諸問題
  第二節 諸産業の展開
    一 「地方の時代」の福井県経済
      「豊かさ」の実現
 「地方の時代」というキャッチフレーズは、政治的立場を異にするさまざまな人びとにより、それぞれの意図を込めて提唱されたが、経済的にみるとそれは、いわゆる太平洋ベルト地帯を中心に実現された高度経済成長の成果を全国的に均霑していく過程であった。「地方」に住む人びとにとって、大都市圏との経済的格差を是正し、大都市に劣らない「豊かな生活」を享受するという積年の願いが、ようやくいちおうの実現をみたのである。郊外に広がる道路網とこれに沿って立ちならぶ大型店舗、ガソリンスタンド、自動車販売店、飲食店、遊興施設の数々、整然と区画が仕切られた水田、山間地にまで行き届いた舗装道路、充実した各自治体や集落の各種コミュニティ施設など、現在われわれが目にする「豊かさ」「便利さ」「くらし良さ」を象徴するような日常的な光景が現われはじめたのは、まさにこの時期からであった。他面では、こうした光景は全国いたる所で散見されるようになり、画一的な「豊かさ」の追求の流れのなかに「地方」のさまざまな意味での個性が埋没するという、キャッチフレーズとは裏腹の皮肉な事態が進行していったのである。
 この時期の福井県経済の具体的な展開については本節の次項以下でみていくが、この項では各種の統計データを利用することにより福井県経済の全体像を概観し、この時期に実現されたとされる「豊かさ」の中身について検証しておきたい。
 まず、「豊かさ」の代表的指標として用いられる一人あたり県民所得について、その全国比の動きをみることで、経済格差の推移をみてみよう(図67)。福井県の一人あたり県民所得は、一九六〇年代後半には全国平均の八〇%をやや上回る水準であったが、一九七三年(昭和四八)から九〇%をこえるようになり、以後ほぼこの水準が維持されることになる。全国的にみても、七〇年代には図67に示されるように大都市圏に位置する上位都府県の全国比の低下と東北六県のような下位県の上昇が進行し、この指標にみられるかぎり、経済格差は縮小したといえる。また福井県は北陸三県(富山・石川・福井)のなかでは最下位であるものの、七三年以降、三県間の格差も縮小していることがわかる。このように、七〇年代に進行した大都市圏と地方との間に存在する経済格差の是正の流れは福井県にもおよんだのである。なお、日本経済は、その後八〇年代後半になると、首都圏が突出した経済成長を示すことになるため、首都圏と、首都圏以外の大都市圏および地方との一人あたり所得の格差はふたたび拡大する。
図67 1人あたり県民所得の対全国比(1967〜85年度)

図67 1人あたり県民所得の対全国比(1967〜85年度)




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