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 第六章 「地方の時代」の諸問題
  第一節 地域開発施策の展開
    二 福井臨海工業地帯造成計画の軌跡
      その後の臨工
 一九八三年度(昭和五八)を境として臨工をめぐる問題は好転した。県および県会自民党では、高速増殖炉「もんじゅ」の建設同意を機に通産省のテクノパーク構想などの国家プロジェクトの誘致をはかった。結局これは成功しなかったが、古河アルミ圧延工場の操業開始と前後して、近畿圏との距離の近さと相対的な地価の安さを売り物とする福井臨工へ用地を確保する企業が増加しはじめたのである。財政問題もしだいに解決の方向へむかい、表149150にみられるように、八八年度には工業用地等造成事業会計は企業債の償還を完了し、八九年度には臨海工業用水道事業がはじめて純利益を計上した。八八年一二月のマスタープランの見直しにより、臨工の事業内容に「都市的機能用地」「レジャー関連を含む産業用地」がつけ加えられ、八九年一月三一日、福井臨工は「テクノポート福井」と改称された。
 こうしてようやく陽のあたる存在となった福井臨工であるが、それは当初の計画がそのまま実現したというわけではなかった。誘致企業の多くは化学工業、金属機械工業であり、立地企業相互の取引上の関連は薄く、また県内企業の進出もふえたものの県経済全体との有機的な関連は乏しかった。また臨海型の工業地帯の形成という当初の意図は大きくはずれ、資材・製品の搬出入は主として自動車輸送に依存しているため、福井港はいまだに関税法上「未開港」の状態が続いている(『福井経済』89・5)。



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