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 第四章 高度産業社会への胎動
   第三節 苦悩する諸産業
    四 労働運動の動向
      複雑化する労働争議
 中小企業で労組の結成が進むのに呼応して労働争議も急増する(図51)。労働者は、たとえ上部組織の指導があったとしても、根本的には待遇改善を要求して組合を結成したのであり、組合結成がただちに争議につながる場合が多かった。また、好景気の追い風もあり、労働者は賃上げなどの積極的な闘争に立ち上がっていったのである。
図51 労働争議件数(1946〜90年)

図51 労働争議件数(1946〜90年)

 当時の争議の特色として、争議の過程でしばしば第二組合が結成された点があげられる。中央で総評が分裂して全労が結成される状況のもとで、分裂した二つの組合をそれぞれ県労評と全労系組合が支援し、また経営側も戦闘的な組合に対抗するため第二組合結成を支援した。このため争議が複雑化し、その解決を困難なものにさせたのである。すでに、一九五三年(昭和二八)に日通労組福井県支部で第二組合が結成されたことがあったが、五六年に県バスに二つの組合が結成されて以後、第二組合結成の動きはより顕著になった。
 県バスに労働組合が結成されたのは五六年一一月である。労働組合結成の動きはそれまでにもあったが、そのたびに会社の圧力により実現しなかった。しかし、一一月五日、県労評の支援を得た従業員は、職場の民主化・固定給の増大・週休制の実施などを要求してついに労組を結成するにいたった。ところが同日、おもに事務系従業員を中心に第二組合も結成された。第一組合(福井県乗合自動車労働組合)は結成とともに総評系の私鉄総連に加盟、一方第二組合(福井県乗合自動車従業員組合)は五七年七月全労系の全国交通運輸労組同盟に加盟し、同一企業内に総評系と全労系との二つの組合が存在するという事態になった。県バスでは労組結成以後数々の争議が発生するが、この二つの組合の存在がその解決を困難なものにし、とくに五八年一一月末におこった越年資金と丸岡町の社宅への入居者をめぐる争議では、スト戦術を展開する第一組合と就労方針をとる第二組合との間でバスの争奪戦・乱闘がくり広げられる事態までおこった。そのほか、五七年の福井鉄道争議、五九年の福井交通争議も、第二組合の存在とそれをめぐる全労系組合と県労評の対立がその解決を遅らせた争議であった。
写真84 ストのため河川敷に集められたバス

写真84 ストのため河川敷に集められたバス

 全繊同盟県支部による労組結成の動きに対して会社側がこれを妨害したことに端を発する梯織物争議では、五九年一二月の全繊所属福井繊維合同労組梯支部の結成に対して、反全繊の梯織物従業員組合が結成され、後者は県労評系の福井地区労働組合に加盟申請を行い、また全繊側が不当労働行為の排除、会社側が工場立入禁止の仮処分申請をそれぞれ福井地方裁判所に対して行った。傷害事件もおこり争議は険悪化したが、結局、六〇年一月、滝波清県繊維協会会長のあっせんにより会社と全繊県支部との間で梯支部組合員に対して会社が不利益な扱いを行わない旨の協定書が交わされ、争議は終息した(資12下 一六五、一六六)。



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