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 第四章 高度産業社会への胎動
   第三節 苦悩する諸産業
    三 戦後繊維産業政策の展開
      過剰織機買上げの開始
 繊維産業の構造調整のためには政府補助をともなう過剰設備の買上げが不可避との認識はすでに安定法改正をめぐる議論のなかで現われていたが、一九五五年(昭和三〇)八月に通産省に設置された繊維産業総合対策審議会で本格的な審議が開始された。これ以後、政府は、設備の新増設の禁止を前提としながらも好況期における増設を事実上容認し、結果的に生じた過剰設備について政府補助をともなう買上げ処理を行う、という「賽の河原の石積み」にも似た対応をくり返すことになり、これがいわゆる戦後繊維産業政策の基調となっていくのである。
 翌五六年二月、同審議会は六〇年までの繊維需給見通しを策定したうえでこれを前提とする各部門の過剰設備の制限および処理を行う旨の答申を提出した。これをうけて通産省は「繊維工業設備臨時措置法案」(繊維旧法)を作成し、同法は六月五日法律第一三〇号として公布、一〇月一日施行となった。繊維旧法は五年以内に廃止される時限立法であり、(1)同法により新規に登録される設備は紡績業における精紡機(一〇区分)、染色加工業における織物幅出機(三区分)である、(2)すでに安定法のもとで調整組合により登録がなされている織物業に関しては調整組合による過剰設備処理事業を行う、(3)通産大臣はアウトサイダーに対し調整組合の設備処理規定に従う旨の命令を発動できる、という内容であった。なお合繊糸については、育成の観点からどの区分の紡機でも製造でき、したがって合繊はこの時点では糸、織物ともに制限外とされていた。また、政府の資金補助により自発的な供出を誘導するため、初年度分一万二〇〇〇台(絹人絹織機五〇〇〇台、綿スフ織機七〇〇〇台)の織機買上げのために一億二〇〇〇万円の国庫補助が五七年度予算に計上された(『商工政策史』16)。
 絹人絹調組連では九月に「過剰織機処理要綱」を提示し、織機買上げ単価は広幅で二万円(国庫補助一万円、業者負担一万円)にスクラップ代を加えたもので、生産実績に応じて業者負担金を徴収するとした。これに対して福井産地では業者負担金の機台数割を主張して調組連の処理規定に異を唱えたが、さきにみた県調組の混乱もあり、一二月二一日、調組連の臨時総会において福井県役員欠席のまま多数決でこの処理規定が可決された。その後、福井産地が態度を硬化させる局面も生じたが、結局調組連に同調せざるをえなかった。この結果、五六年度には福井県では絹人絹織機一五五九台、綿スフ織機八三台が買い上げられた。また五七年度については一二月一三日に通産省の過剰織機処理命令が出されたが、これにもとづく処理規定では広幅絹人絹織機一台あたりの国庫補助が二万円となり、業者負担金については福井産地の主張どおり機台数割(一台あたり二八〇円)とされ、福井県では絹人絹織機二五二八台、綿スフ織機二五台が買い上げられた(表117)(『福井繊維情報』56・9・20、11・17、12・25、57・1・22、2・12、22、4・28、11・14)。



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