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 第四章 高度産業社会への胎動
   第二節 地域振興と県民生活
    三 商工振興と工場誘致
      中小企業の組織化
 一九四九年(昭和二四)六月に公布された「中小企業等協同組合法」は、四六年一一月公布の「商工協同組合法」に残されていた組合運営に関する行政官庁の認可・監督権限を大幅に削減することにより、自主的・協同的な経済事業運営を行うための相互扶助組織としての協同組合の性格を明確にするものであった。政府は五〇年度予算から協同組合の共同施設に対する国庫補助を大幅に増額するとともに、中小企業庁による新法にもとづく協同組合の設立・指導につとめ、五一年には協同組合数は全国で二万をこえる数となった(『通商産業政策史』3)。

表107 事業協同組合・連合合、企業組合の設立状況(1959年10月)

表107 事業協同組合・連合合、企業組合の設立状況(1959年10月)
 しかし、現実の協同組合の活動は概して停滞的であった。表107は、五九年一〇月末の県下の協同組合の設立数であるが、事業協同組合四四五組合のうち、活発に活動をしている組合数は一二七にすぎず、残りは活動不振ないし休眠組合であり、その多くは五二年四月の中小企業等協同組合法の抜本的改正以前に設立されたものであった(『昭和34年度商工繊維施策の概要』)。たとえば眼鏡枠業界では、幾度も組織化が企てられたがいずれも失敗に終わった。五九年の『眼鏡産業産地診断報告書概要』で指摘されている失敗の原因について摘記しておこう。
  (1)出資金・組合員賦課金・共同施設利用手数料などの未払者が多い。
  (2)組合員各位の組合に対する売掛・買掛額が不明になったり原価を割った販売を行
     うなど、事務能力・管理能力の不足がはなはだしい。
  (3)組合内の個人的対立が激しく仕事がはかどらず、また失敗の責任をすべて幹部が
     かぶることになり役員のなり手に事欠くようになった。



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