目次へ  前ページへ  次ページへ


 第三章 占領と戦後改革
   第四節 戦後教育改革
    一 六・三・三・四制教育の実施
      教科書問題
 一九四五年(昭和二〇)一〇月、教科用図書の取扱いについて「終戦ニ伴ナフ教科用図書取扱方ニ関スル件」が発せられ、福井県も教学局編さんの極端な皇国主義的図書の使用を停止するなど注意を促し、さらに該当する図書類いっさいの校内での蔵置を禁止した(資12下 一〇三)。しかし、その後の不確定な教育政策や資材不足のため教科書の発行は遅れ、とりあえず四六年二月、国民学校後期用教科書のうち、国語・算数について削除・修正箇所の詳細な指示を発し各学校では指定箇所を修正して使用した。いわゆる「墨塗り教科書」である(武生東小学校文書)。
 同年三月の第一次アメリカ教育使節団は国定教科書にもとづく従来の画一的な教育の弊害を批判し、教科書の自由発行を勧告した。四七年三月の「学校教育法」では検定制にとどまったものの、同月の最初の学習指導要領(試案)は中央集権的・画一的教育の反省にたち、授業での教科書の位置づけを見直していた。四九年度には、検定制による教科書の配布が可能となり、採択の適正化をはかるため同年六月「福井県教科用図書採択委員会規程」(資12下 一〇六)を定め、委員会の意見や指導にもとづき各学校ごとに教科書の採択を行うこととした。しかし、使用が許可される教科書は軍政部の承諾を得たものに限定された。
 一方、教科書以外の国粋的あるいは軍事的宣伝を内容とする出版物の図書館・学校からの没収が、軍政部から指示された。その後も数次にわたり指定された出版物は追加され、冊数も相当数に及んだ(『勝山市立鹿谷小学校百三十年史』、『金津小学校百年史』)。このため各学校は指定以外の出版物についても未然に使用禁止の措置をとり、図書館に蔵書がなくなる恐慌状態が各県で生じた(藤原治『ある高校教師の戦後史』)。このため過度の没収を禁じたり、学校図書の適用除外を県もあわてて通達する事態にたちいたった(武生東小学校文書)。



目次へ  前ページへ  次ページへ