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 第三章 占領と戦後改革
   第三節 経済の民主化と産業の再建
    四 労使関係の再編と労働運動
      県労評の結成
 一九四九年(昭和二四)一一月、全労連や産別会議を脱退した組合は全国労働組合統一準備会を組織し、あらたな労働戦線の統一に乗りだした。そして翌年、準備会は統一組織の名称を日本労働組合総評議会(総評)と決定し、「自由にして民主的な労働組合」の結集をはかることを約した。こうして七月に総評が発足し、以後の労働運動の中核となった。
 総評結成の動きをうけて、福井県でも県労協にかわる新しい労働戦線統一の動きがみられた。その中心となったのは、総同盟県連と官公庁労組である。
 県労協から脱退した総同盟県連も、四八年末ごろから不況の影響をうけて脱退組合があいつぎ消滅の危機に頻していた。そこで県繊連が、県労協に対抗するためその再建に乗りだし、五〇年四月再建大会が開かれた。これによって総同盟県連は、再建前の五労組、組合員約五〇〇名から、二二労組、組合員約一万二〇〇〇名を擁する一大勢力になった。こうして総同盟県連は、県内右派勢力の結集をはかり、総評県連の結成に動いた。一方、県教組、県庁職組、国鉄労組敦賀支部などで組織されていた福井県全官公労組連絡協議会は、戦線統一の母体としてこの協議会の組織強化をはかり、総評には属さないで、左右両派を広く包含した組織をつくることをめざした(『福井新聞』50・9・11)。労働戦線の統一は、この両者の調整にかかっていた。

表87 県労評加盟組合、組合員数(1951年6月30日現在)

表87 県労評加盟組合、組合員数(1951年6月30日現在)
 五〇年九月、総同盟県連、県繊連、全官公、県教組などによって戦線統一準備会が組織され、戦線統一にむけての労組間の調整が行われた。そして一一月、福井県労働組合評議会(県労評)の結成を合意し、一二月の組合長会議で規約案などが正式決定した。そこでは、県労評の性格を「共産主義的傾向を排除し、民主的な労働戦線の統一を推進する連絡協議機関」とすることとされた(『福井新聞』50・12・26)。そして翌年一月二六日、県労評結成大会が開催され、会長に県教組委員長の古谷正美が就任した。県労評への加盟状況は表87のとおりであるが、当時は約四万人の組織労働者があり(表84)、いかに未加盟労組を加盟させるかが大きな課題となった。



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