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 第三章 占領と戦後改革
   第三節 経済の民主化と産業の再建
    一 農地改革
      農地売渡
 農地売渡は当初は買収と並行して行われる予定であったが、種々の制約により第一回農地買収から約半年遅れて、一九四七年(昭和二二)一〇月二五日(天皇福井行幸の日)、福井市議会議事堂ではじめて行われた。この日は県下全域から、市町村農地委員会代表および書記代表あわせて約二〇〇名が集まり、式に参列した。式は知事式辞(農地部長代読)にはじまり、新自作農代表の売渡通知書一括受領、答辞(新自作農の決意表明)という順序で進んだ(『北陸農革時報』4)。
 この日に代表者に一括して手渡された通知書は一一月三日(憲法公布一周年記念の日)に各市町村農地委員会ごとに本人に渡された。この日は「農地改革デー」と定められ、県は伝達式と並行して講演会や座談会、農産物の品評会を開催するよう各農地委員会に通知を出した(旧中名田村役場文書)。
 その後、売渡計画は回数を重ねるにしたがって順調に進むようになり、四九年度からは在外邦人所有地や都市計画地域内の五か年売渡保留地などの少数の例外をのぞいて、売渡は買収と並行して行われるようになった。
 売渡対価の徴収は売渡計画の履行とは切り離して行われることとなった。これは、事務上の配慮から特例が設けられ、代金の納付に関係なく売渡がなされたことと関連する。対価徴収の方法は、当初は知事が納入告知書を交付して、直接徴収することになっていたが、のちに変更され、市町村長が事務を委託されることになった。
 徴収の方法は対価の支払いと同様、二種類あった。一つは現金一時払いであり、もう一つは年利三分二厘、二四年の均等償還であったが、農家の経済事情が比較的好転していたことから、ほとんどの者が現金一時払いを選択した(『福井県の農地改革』)。



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