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 第二章 日中戦争から太平洋戦争へ
   第二節 産業・経済の戦時統制
    二 戦時下の林業
      造林政策の展開
 部落有林統一政策の後退は決して造林政策の後退を意味するものではなかった。国有林野特別経営事業の完了と公有林造林事業の進展にともない、国の造林政策は私有地にむけられていく。「水源涵養造林補助規則」(一九二七年)、「造林奨励規則」(二九年)など私有林への一連の補助奨励政策が登場した。福井県でも一九二七年(昭和二)に「水源涵養造林補助規程」がつくられた。七五〇〇町歩の植栽を目標にしており、京都電灯会社など電力会社も造林に協力した。二九年には木炭倉庫の新・増改築と、森林組合が行う林道開設に補助金を支給する林業共同施設補助がはじめられた。また、三二年には漆油桐増殖奨励政策が実施され、換金性の高い漆と油桐の植栽がはかられ、疲弊した山村に普及していった。
 一方、三二年から県営林道開設工事がはじめられた。県下二九万四〇〇〇町歩の林野のうち奥地林野を中心とした約四割は未利用林であった。そこで森林組合では着手できない奥地林道を開設して奥地林を開発し、あわせて約五万人の森林労働者に現金収入の道をひらこうというのが目的であった。三年計画で工事は進められ約四〇キロメートルの県営林道が新設されている(『福井県林業一覧』)。当時、私有林業の展開にともなって山林地主の政治的結集が進み、官僚の援助のもとに地主的林政がはじまっていた。その中心は地主所有奥地林の開発を目的とした林道開発であったとされている(『講座日本近代法発達史』10)。福井県営林道開設は時局匡救事業として実施されたが、基本的には地主的林政展開の一環であったとみられる。なお福井県は三二年から二年間、町村営林道の建設に七五%の補助金を支出している(『福井県林業一覧』)。



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