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 第一章 昭和恐慌から準戦時体制へ
   第三節 教育の再編と民衆娯楽
    一 不況下の学校
      郷土教育の展開
 郷土教育は昭和初期に展開された郷土に着目した教育であるが、その契機となったのは文部省の積極的な取組みであった。文部省は一九二七年(昭和二)八月に高等師範や各師範の附属小学校および全国各地の諸学校に対して郷土教育の実態調査を行ったり、財政難にもかかわらず三〇年度から各師範学校に対して郷土教育研究施設費を補助したりするなどして推進した。福井・鯖江女子両師範学校へは、三〇年度でそれぞれ一八一〇円、三一年度には四一五〇円が交付された(『福井県歳入歳出決算書』、『大阪朝日新聞』32・1・17)。文部省がこのように郷土教育推進に熱心であったのは、抽象的で画一的な公教育の現状への反省からということもあったが、経済恐慌による農村疲弊をいかに教育の場面で打開するのか、という問題意識もあった。文部官僚の篠原英太郎は、郷土教育を、「教育の地方化」や「教育の実際化」の「具体的方策」として位置付けるとともに「郷土の自然と生活の特質を認識し、それによって郷土愛から国家愛への思想を培う」ことを強調した(『郷土』創刊号)。
 このような文部省指導による「郷土愛教育」に対して民間側で科学的郷土教育を標榜したのが三〇年に創立された郷土教育連盟である。この郷土教育連盟は文部省の影響をうけながらも基本的に民間側の団体として出発し、大正新教育運動を担った研究者・実践家も合流していた。彼らの考えは、その「宣言」で「土地と住民との交互作用に鋭き科学的認識を進め、経済と社会との相関々係に正しき体験を持つ為に、『郷土』の合唱が高らかに響き渡らねばなりません」と述べているように、郷土の科学的調査をとおしての郷土の建設にあたった。
 三〇年には福井県下連合教育研究会で『福井県郷土史』が編さんされ、三一年には二つの師範学校に郷土室が設置された。三二年一一月には、福井師範学校から『郷土研究』が刊行され(第二号は三五年一〇月発行)、鯖江女子師範学校からは『我校の郷土教育』(一九三四年)、『福井県の伝説』(一九三六年)が出版され、福井県の郷土教育に大きな影響をあたえた。
 福井師範附属小学校では、二九年度に「各科教材ノ系統的研究完成」「地方化実際化ニ留意して教授の徹底を計」り、それらを『研究紀要』第一一集としてまとめた。また、県下連合教授法研究会が一一月二一日より三日間附属小学校で開催され、地理・国史・理科の三教科の地方化・実際化に関する研究を行った。三二年度には「教育の地方化実際化の叫びは郷土教育思潮となって顕現した事は実に意義深い時代の潮流」とあり、そのための教授細目を完成させた。また六月一〇、一一の両日に開催の附属小研究発表会では「現代教育思潮と我等の態度」「郷土教育の帰趨」「郷土を基調とした修身教育」「郷土に即する国語教育」「郷土化教育への郷土史の考察」「福井市を核心とした生活領域の地理的調査」が報告されていた(『福井県師範学校附属小学校沿革略誌』)。
 南条郡北部教員会では、三〇年七月、武生西小学校で開かれた例会で土生彰町長は教育の実際化に関して、武生町の長所や短所を明らかにしてそれを助長したり矯正する方法を考え、教育の実績をあげることを期待する旨の発言をしている(武生東小学校文書)。
 武生東小学校では、三四年一二月に「国史科研究紀要(四)」として『郷土史の取扱ひについて』を発行した。そこでは郷土史の使命として「郷土文化の発展盛衰、流動開転の種々相」を理解させ、「我が国体の認識を深め、日本国に対する郷土の位置、郷土に於ける自己の地位を自覚せしめ、児童将来の生活の拠るべき所を、適正明確に把握」させることとしている。郷土の範囲は、児童の心身の発達に応じて学校単位から町村・集落単位、高学年では地域中心・県中心にすべきことが述べられ、国史との関連で郷土にある史蹟遺物を利用し国史理解を深めることが強調されている。学習法は「智的訓練を要するものは自学、情意的訓練を要するものは説話」と二つの方法が提起されている。具体的な実際の授業については、年間をとおした教科と行事の予定や取り上げるべき人物が述べられ、さらには郷土史年表も作成されている。
 翌三五年九月に実施された県教育会の国史科研究発表会では、全学級実地授業と国史の研究授業が公開され、鯖江女子師範教諭の河合千秋が「小学校国史教材の取扱について」と題する発表を行った。参観者との討論会では「郷土史調査の重点如何」など国史教材と郷土との関連も議論された(武生東小学校文書)。
 一方、雑誌『福井県』にも数は少ないが郷土研究・郷土教育に関する論文が掲載されている。島崎圭一「郷土研究は何処へ行く」は、新しい研究方法として柳田国男の提起した民間伝承学を採用すべきという論であり、研究生「郷土地理の取扱いに就て」は初等教育の立場から児童の発達の程度と要求・理解・興味に適合して取り扱うべきとし、地理教材の郷土化、愛郷心の養成、日本国民としての自覚を強調していた(『福井県』32・5、35・6)。



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