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第五章 中世後期の経済と都市
   第一節 産業・交通の発展
     三 浦・山内の馬借
      他国荷の運送
写真248 中世の馬借(「石山寺縁起」)

写真248 中世の馬借(「石山寺縁起」)


写真249 今泉浦絵図

写真249 今泉浦絵図

 永正年間(一五〇四〜二一)になって、他国船が塩・榑を積んで河野・今泉浦に着岸し、これを里の商人が直買して運送させる事態が生じた。馬借中はこうした他国荷も独占的に運送する権利があると主張したが、府中両人にはこうした他国と関わる問題を判断する権限は与えられていなかったようである。そこで馬借中は一乗谷の朝倉貞景に提訴し、永正五年に直買停止を保証する文書が発せられた(同一五号)。馬借中はこの権益容認を受けて改めて定書を作成し、(1)塩・榑は、他国・当国いずれのものでも里からの直買を認めないこと、(2)旅舟の塩・榑についても、舟人をともなって里へ出商いをしてはならないこと、(3)他人の荷物を自分の商売物と偽って舟に積んではならないこと、(4)前項の規定は山内馬借中にも適用されること、(5)規定に違反した行為があった場合には、浦・山内馬借中の裁決として商いが停止されること、(6)湯谷・勾当原・別所・中山・八田(以上山内)、および今泉・河野両浦の馬借が、商売上の特権を享受できるものとすること、(7)糠浦・干飯浦・高佐浦・六呂師・都辺・糠口(のちの米口)・安戸・中津原の馬借は山内の下位に、また蕪木浦は山内・両浦の下位にそれぞれ属するものとし、この規定に反して糠浦・高佐浦・干飯浦への里買の商品を舟に積んではならず、またこの定書にはずれた者を馬借中に入れてはならないこと、以上の七点を誓約しているのである(同一六号)。署名する馬借は、今泉中屋刀を筆頭にして、今泉の二人、河野の三人、蕪木(ここでは蕪木八田のこと)の三人、中山の七人、勾当原の三人、湯谷の一人、以上合計二〇人で、これがこの時期に馬借株をもっていた者の数であろう。



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