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図説福井県史 近代5 「文明開化」の波(2)
5 「文明開化」の波(2)
 また越前では、真宗信仰にちなんだ諸行事や盆会、節句、火祭り、風祭り、雨乞い、虫送りなどの各種の民俗行事がさかんで、呪術を用いた「俗信」も広く行われていたようです。これらのすべてが生活の「開化」を妨げる「弊習」として退けられ、「旧習一洗」のスローガンのもと、地域固有の生活慣習や伝統行事が改廃を余儀なくされたのです。そしてその一方で、民間医療の取締りや公衆道徳、衛生観念の普及が急がれました。

 さらに、「開化」を唱える施策の1つに、「士農工商」に象徴される江戸時代の身分制の廃止があります。代わって「四民混同」の社会制度が採用されたことは、たいへん画期的でした。しかし内実は、華族・士族・平民という、また新たな身分を生み出し、各身分の内にも種々の社会的差別が残りました。とくに「穢多、非人」や 「乞食」「娼妓、芸妓」など、これまで社会の周縁に置かれてきた身分や職業の解消には、大きな限界がありました。72年に足羽県では、「乞食」の解消法について、一般社会から排除、隔離するための具体策が地域有力者からも提案されています。内容の如何にかかわらず、長い年月のうちに慣習となった制度を解体することは、やはり容易でなかったのです。
 最後に、「開化」がもたらした社会の新事物として、町村に開かれた学校・郵便局、海運や舟運に代わる陸運の担い手として登場した鉄道、最新の情報を掲載する新聞・雑誌、石油ランプを使った街灯・広告灯、新しい乗り物の人力車・馬車などをあげることができます。なかでも学校は、地域生活の「開化」を先導する役割を担う施設でした。村の伝統的な若者集団「若連中」などの社会教育の場としても活用され、生活の近代化を推し進める地域センターであったといえます。
 三国龍翔小学校(絵はがき) 
▲三国龍翔小学校(絵はがき)
 同校の校舎は、お雇い外国人工師G・A・エッセル(オランダ人)が設計したといわれる5層8角の
 建物で、1879年(明治12)に竣工した。写真は明治後期に撮影されたものと思われる。
                                               福井県立博物館蔵

  「乞食取締の趣法」 「乞食取締の趣法」
今後の乞食(乞丐)取締りについて、その趣旨と方法が掲載されている。管内にいる乞食者は、これを取り調べて本籍地に返すことを原則とし、引渡し先のない者は「徒場」に送ること(徒刑場で使役することか)、また旧習にしたがって食物の余りや米・銭を与えないことなどが指示されている。
  『撮要新聞』 福井県立博物館蔵

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