『万葉集』には、若狭・越前国の民衆の歌は採られていない。しかしこの地方に来着した官人などの作品はかなり採録されていて、当時の地理・交通・生活などを考えるうえで貴重な資料となっている。
その最初が、万葉歌人として著名な笠朝臣金村である。金村は、おそらく天平六年(七三四)ごろ、越前国守となった石上朝臣乙麻呂(『続日本紀』などに越前守補任の記事はみえない)に従って越前に来たものと考えられる(以下、引用は『万葉集大成』本文篇)。
ますらをの弓末ふり起し射つる矢を後見む人は語り継ぐがね
塩津山うち越え行けばわが乗れる馬ぞつまづく家恋ふらしも
この二首は、金村が近江の塩津山で作った歌である。塩津山がどこを指すか正確には明らかでないが、近江塩津から角鹿(敦賀)へ向かう道の途中であることはほぼ確かであろう。
さらに、「角鹿の津にて船に乗りし時、笠朝臣金村の作れる歌」として長歌一首ならびにその反歌がある。
越の海の 角鹿の浜ゆ 大舟に ま梶貫き下し いさなとり 海路に出でて 喘ぎつつ わが
漕ぎ行けば ますらをの 手結が浦に 海未通女 塩焼くけぶり 草枕 旅にしあれば 独り
して 見る験なみ 海神の 手に巻かしたる 玉襷懸けて偲ひつ 大和島根を
反歌
越の海の手結が浦を旅にして見ればともしみ大和偲ひつ
この長歌と反歌によれば、角鹿から越前国府(武生市)に向かうには海路をとるのが普通だったらしい。海上から眺めれば、田結の浜あたりには、海女たちが塩を焼く煙がたなびいていた。
なお越前守石上乙麻呂の歌と思われるものも「石上大夫歌」として採録されている。
写真122 敦賀市田結遠景