3 前方後円墳の時代(1) |
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3世紀後半以降、奈良盆地東南部に箸墓古墳のような超大型で前方後円形の古墳がつくられ始めます。 弥生時代中期以降、各地方の首長は、その地位と権力を誇示するものとして、大型の墳丘墓を築いてきましたが、畿内のヤマト王権は、これら各地方の墓の構成要素を統合して画一化し、前方後円墳を中心とした墳墓を創出し、その形・規模・副葬品などがヤマト王権と各地の首長との統属関係を象徴することになりました。古墳時代のはじまりです。 土器も全国的に畿内の土器(布留式)の影響を強くうけて、地方色がなくなっていきます。 |
![]() ▲福井平野から見た丸岡・松岡の大首長墓群 九頭竜川が福井平野に流れ出る地点の丘陵に、九頭竜川の用水を掌握するかのように 分布している。古墳時代前期〜中期 築造順に、1 手繰ケ城山古墳 2 六呂瀬山1号墳 3 六呂瀬山3号墳 4 泰遠 寺山古墳 5 石舟山古墳 6 二本松山古墳 福井県埋蔵文化財調査センター提供 |
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![]() ▲半円方格帯神獣鏡 古墳時代中期 松岡町泰遠寺山古墳 径22�p 中国製 福井市 野村英一氏蔵 |
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越前では4世紀初めごろから前方後円墳がつくられます。そして4世紀中ごろから5世紀末まで、北陸地方でも最大級の復元墳長85〜140メートルの前方後円墳が、おもに九頭竜川が福井平野に流れ出るあたりの標高160〜273メートルもの山上に、平野を見おろすようにつくられます。 これらの古墳に葬られた大首長たちは、広く豊かな福井平野だけでなく、武鯖盆地にも支配力をおよぼしていたことでしょう。これらの古墳は、くり抜いた石棺をもつことでも、越前のほかの古墳を格においてはるかにしのぎます。なかでも5世紀末の松岡町の二本松山古墳は、石棺から朝鮮半島との関わりをうかがわせる、当時の先端技術を使って金や銀でメッキした国内最古の冠を出土したことで有名です。 |
![]() ▲松岡古墳群中の手繰ケ城山古墳 越前における最初の大首長墳。2段築成で葺石、埴輪を備える前方 後円墳。中世の手繰ケ山城跡でもある。古墳時代前期 全長129m 松岡町教育委員会提供 |