17 松尾芭蕉と岩佐又兵衛(2) | |
![]() ▲「 「金谷屏風」とよばれる六曲一双 仕立の押絵貼屏風に描かれたも のの1つである。この屏風は福井 の豪商金谷伝右衛門が、松平忠 直の弟直政を養育した功労により 成人した直政から拝領したと伝え られる。 福井県立美術館蔵 |
岩佐又兵衛は、織田信長に背いて滅ぼされた戦国武将荒木村重の遺児で、京都に住み画家となりました。1616年(元和2)ころに北庄に移住し、38歳から59歳のほぼ20年間を越前ですごしています。福井では、多くの画工を抱え藩主や寺社・豪商の求めに応じて作画活動をするいわば工房を主催しました。 又兵衛は「土佐光信末流」と自称し、狩野派、海北派、雲谷派などの影響も受けながら独自の画風を確立しました。彼はつねに和漢の古典に題材を求め、とくに人物描写では豊かなほおと長いあごをその特徴とします。「金谷屏風」や「歌仙図」「和漢故事説話図」などがその代表作です。 又兵衛は、37年(寛永14)に将軍家御用により出府、50年(慶安3)江戸で没しました。又兵衛の出府後、工房は嫡子の源兵衛勝重さらにその子陽雲以重が相続しています。 ![]() |
▲岩佐又兵衛「和漢故事説話図」 近藤師径と寺僧の決闘 平家物語の一場面を題材にしている。この「和漢故事説話図」には、平家物語のほか 源氏物語や中国故事の画題が混ぜられており、楷文二重円印「勝以」が押されている。 福井県立美術館蔵 ![]() ![]() 福井県立美術館蔵 |
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