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『福井県史』通史編4 近世二 目次へ  前ページへ  次ページへ


 第三章 商品の生産と流通
   第三節 日本海海運と越前・若狭
    一 越前における流通統制と沖の口制度
      沖の口制度の成立
 諸大は、領内の流通を統制するために出入りする物品を制限したり、また治安維持のために出入りする人々を監視する必要があった。そのため、各湊に対して沖の口条目のようなものを定めていた藩が多かった。
 越前においては、「滝谷町記録」(『三国町史料』)寛政六年(一七九四)の項に「中納言様(結城秀康)御代」から湊の「御条法」があったとか、「家譜」天保九年(一八三八)四月十一日の条に秀康が「一円領地」している時から往古の仕来りを守っているという文言があるように、秀康の代に何らかの法が制定されたことを示唆する記録がある。しかし、後述する寛政七年の「沖口御法度条々」(宮川五郎右衛門家文書 資6)には、寛永三年(一六二六)に沖の口法度が仰せ出されたとあり、実際のところは明らかでない。いずれにしても福井藩においては、その流域が敦賀郡を除く越前(嶺北)のほとんどに及んでいる九頭竜川の河口に位置する三国湊が沖の口制度の対象となる最も重要な湊であった。



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