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図説福井県史 近代11 米と地主(2)
11 米と地主(2)
 また、明治期には国の農政をうけて、県は従来の「浅耕・排水不良・少肥」を「畜力耕・乾田・金肥施用」に象徴される「明治農法」に変革しようとします。明治10年代後半からは、江戸時代からの農業に習熟し、品種改良などへの意欲も高い「老農(篤農)」を農談会などで積極的に活躍させます。このほか、『勧業年報』『勧業月報』が刊行されたり、博覧会や共進会が各地で開かれて、新技術・知識の普及に貢献しました。

 さらに明治後期からは、農事試験場や農会などの農業団体、農業学校が、水選、短冊型苗代、正条植・牛馬耕、耕地整理などを先導するとともに、その普及の主体となりました。

 こうした小農技術の導入・定着には、とくに虫害防除に関して警察力による強制がなされた時期もあり、いわゆる「サーベル農政」という批判がありました。また、資本主義的な米穀市場の発達が、各地産米の改良を求め、移出米検査がより厳重になされることになり、小作人などの直接生産者の負担は重くなりました。一方、地主は投資対象を農業から、株式や債券のほか植民地の農場経営などに移していきます。これらはともに、小作争議のおきる要因となりました。
   宇野家
   ▲▼宇野家と小作おろし帳
   宇野家は、1868年(明治1)の今立郡押田村の村高250石余のうち、120石余を
   占める村きっての豪農で、近世中期以降の庄屋文書をはじめ、多くの文書を
   残している。なかでも小作おろし帳(「米取立并米払帳」)は、天保期から昭
   和戦前期にかけてものもが残されており、これには年度ごとの小作米の取立
   記録だけでなく、米、金銭の水稲記録や、農作業日誌が記されている。
                                   武生市 宇野嘉一郎氏蔵
   宇野家の小作おろし帳


                 『福井県農会報』 大野郡馬耕図 『福井県勧業月報』
▲大野郡馬耕図 『福井県勧業月報』            東京都 国立国会図書館蔵
    『福井県農会報』
    ▲『福井県農会報』
    1895年(明治28)に設立された福井県農会は、
    1908年9月から機関誌『福井県農会農事報』を
    刊行し、16年(大正5)1月から農会報と改称し
    た。こうした機関誌発行の背景には、農会の政
    治団体化がある。地主を中心とした農民の団
    結により、政府からの補助金を増加させてい
    った。              福井県立博物館 

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