2017(H29)年度終了企画展示

2018/03/08

明治維新150年 近代文学の夜明け

明治維新150年 近代文学の夜明け

期間:平成30年1月20日(土)~3月25日(日) 観覧無料
内容: 明治維新以降、西洋文化の流入により、日本文化は大きな影響を受けました。 文学においては、西洋の小説を学んだ坪内逍遙が『小説神髄』を出版し、人間を写実的に描く近代小説の方法を紹介しました。これを契機に、人間の内面の動きや現実の生活、理想の生き方など新しい題材を取り入れた小説が書かれるようになりました。
また、表現方法についても、話し言葉を用いた口語体という新しい文体が生まれこのように西洋文化に影響を受ける一方で、伝統的な日本文化の素晴らしさを国外に伝える動きもありました。岡倉天心は『茶の本』など英文で書いた一連の著作を外国で出版し、日本文化を広く紹介しました。
本展では、近代文学を切り口に、文明開化の激流の中、新しい文化を切り拓いていった明治時代を振り返ります。


近代文学の夜明けチラシ.pdf

展示内容と構成

第一章 身近な表現の創造

 開国により西洋文明が流入し、近代化を目指す明治政府は西洋の産業技術や社会制度、生活様式、文化芸術などを取り入れようとしました。文学への影響は緩やかで、江戸時代の娯楽を目的にした戯作文学が引き続き人気を博し、仮名書魯文の『安愚楽鍋』など西洋の文物を取り入れた戯作文学も生まれました。
 そのような中、1885(明治18)年に発表された坪内逍遙の『小説神髄』がきっかけとなって、西洋の小説を学んだ作家たちが新しい小説の手法や文体を模索するようになります。
 第一章では、西洋の文明を受け入れ変化していく明治時代の生活の様子や、明治時代に生み出された話し言葉を用いる口語体とその作品を紹介しました。

第二章 新たなテーマへの挑戦

 明治時代、日本の作家たちは西洋の自由な個人主義と合理主義の精神に大きな衝撃を受けました。坪内逍遙は、江戸時代に好まれた勧善懲悪や娯楽性のみをテーマにした文学は真の芸術ではないと考えました。二葉亭四迷は当時の社会とそこに生きる青年の内面を描いたこれまでにない作品を生み出しました。また、ドイツ留学を経験した森鷗外は海外生活を描いた作品や社会批評を込めた作品、樋口一葉は女性の内面を描いた作品、夏目漱石はユーモアや風刺の利いた作品、エゴイズムを批判した作品を発表するなど、新しいテーマに挑んだ様々な作品が書かれました。
 第二章では、新しいテーマを切り開いた明治の文学者とその作品を紹介しました。

第三章 岡倉天心と日本文化の発信

 1862(文久2)年、岡倉天心(本名覚蔵(角蔵とも)、のち覚三)は横浜で福井藩の商館に勤める元福井藩士の家に生れます。進歩的な考えを持つ父の方針により英語の指導受ける一方、漢籍も学び、幼い頃から西洋と東洋両方の文化に触れました。
 1874(明治7)年、東京開成学校(現・東京大学)に進学した天心は、お雇い外国人のアーネスト・フェノロサと出会い、日本伝統美術の魅力を知ります。卒業後は文部省職員となり、フェノロサとともに日本の古社寺調査や欧米美術調査を行います。
 1887(明治20)年には、美術教員や美術家を養成する東京美術学校の開校にも携わり、のちに校長を務めました。
 1898(明治31)年には日本美術院を設立。
弟子の横山大観らとともに新たな日本美術の表現を模索し、多くの芸術家を育てました。また、1904(明治37)年からはボストン美術館の職員として雇われ、晩年まで東洋美術部門を任されました。同時に『茶の本』など英文の評論を執筆し、日本文化の素晴らしさを世界に発信しました。
 第三章では、西洋化が進む時代の中で日本の伝統文化を見直した岡倉天心の業績と著作を紹介しました。


2017/10/25

三好達治展

三好達治展



「雪」「甃(いし)のうへ」などを収録した詩集『測量船』を刊行するなど、日本の近代抒情詩を代表する詩人、三好達治。

1944年、三好達治は福井県坂井郡雄島村(現坂井市三国町)へ疎開し、5年間滞在しました。三国の風景を精選した言葉で詠いあげ、『故郷の花』『砂の砦』などの詩集を刊行、越前三国を「心のふるさと」と記しています。
 生涯にわたり最上の言葉を求め、詩を詠い続けた三好達治の作品世界や足跡、福井での交流を紹介します。

 期間:10月14日(土)~12月17日(日)
   観覧無料

 主な展示資料:
  三好達治自筆資料(卒業論文ノート、書幅「師よ萩原朔太郎」、原稿「月の十日」、「草上記」 
  三好達治愛用品(船箪笥、花瓶など)
  三好達治宛て室生犀星、桑原武夫書簡
  萩原朔太郎原稿「山に登る」、梶井基次郎自筆ノート「秘かな楽しみ」
  漫画『月に吠えらんねえ』パネル 

三好達治展リーフレット.pdf

展示内容と構成

第一章 三好達治の詩

三好達治は、一九三〇年、新しい詩の可能性を追求した第一詩集『測量船』を刊行、抒情的な作風で絶大な人気を博した。また、四行詩の分野を開拓し、『南窗集』や『閒花集』、『山果集』と四行詩の詩集を次々と発表、四行で記した歌集『日まはり』も発行した。

その後、伝統主義の詩風がにじむ長詩が収められた『艸千里』を発表、一九四〇年、詩歌懇話会賞を受賞した。

一九四四年、福井県に疎開、国の存亡や自身の孤独を古典的な情緒を込めて詩に詠った。一九五二年、洒落と風刺を利かせた『駱駝の瘤にまたがつて』を刊行、それまでの詩作により芸術院賞、『定本三好達治全詩集』で読売文学賞を受賞するなど、生涯にわたり詩を愛し、詩人として活躍した。

また、三国高等学校校歌や大野高等学校校歌、福井県民歌などを作詞し、今も歌い継がれている。

第二章 三好達治の足跡

三好達治は一九〇〇年、大阪市に生まれた。陸軍士官学校を中退後、京都の第三高等学校に入学、萩原朔太郎の作品と出会い、その虜となった。卒業後は東京帝国大学でフランス文学を学び、梶井基次郎らの同人誌『青空』に初めての詩を発表、詩人としての道を歩み始めた

一九三二年、三好の入院中に友人だった梶井基次郎が死去した。その後、三好は長野県の発哺温泉にて療養していたが、一九三四年、堀辰雄と丸山薫とともに詩誌『四季』を創刊(一九四四年、八十一号にて終刊)、『四季』に参加した詩人たちは四季派と呼ばれ、抒情詩復興の中心的存在となった。

一九四四年、三好は小田原より三国へ疎開、一九四九年に世田谷に居を移した。三好は暮らしたそれぞれの土地で移り行く世の風景を捉え、漂泊の詩人としてことばの限界に挑むとともに、評論『萩原朔太郎』、翻訳『巴里の憂鬱』、随筆『草上記』など、多彩な分野で活躍した。

第三章 三好達治と福井

 一九四四年、三好達治は三国出身の文人秦秀雄の勧めで坂井郡雄島村(現、坂井市三国町)の豪商森田家の別荘に疎開した。滞在中、唯称寺ではフランス語を教え、地元の青年が三好のもとに集まり文学談義を行った。また、中野重治や森田愛子、伊藤柏翠らとも交流した。

 一九四六年、三好達治は地元の青年畠中哲夫らと三国地方文化会を設立、蔵書を持ち寄り、本を自由に読める場所として三国文庫を開設するなど、文化運動の中心となった。さらに、三好達治は多田裕計、山本和夫、雨田光平ら県内文化人とともに、地域の文化振興を目的に北陸生活文化協会を結成、県内では戦後初となる文化雑誌『北陸生活』を創刊した。

 三好は一九四九年、東京に転居したが、福井での生活は詩の革新や再出発の契機となり、越前・三国を「わが心のふるさと」と語るなど福井を愛した。また、三好が福井に招いた則武三雄は三好を生涯の師とし、三好がこの地を去った後も福井に留まり後進の育成に努めた。


2017/10/12

医と文学

医と文学

 杉田玄白没後200年を機に、杉田玄白の文学者としての側面に着目して紹介します。あわせて、人間の身体や健康、医療をテーマに作品を書いた本県出身のかこさとし、山崎光夫を紹介します。

期間: 7月15日(土)~9月18日(月・祝)
主な展示資料:
 杉田玄白『解体新書』『蘭学事始』版本、自筆の書
 かこさとし『むしばミュータンス』『たべもののたび』複製原画
 山崎光夫『サイレントサウスポー』『ジェンナーの遺言』自筆原稿など

医と文学_チラシ.pdf

展示内容と構成

第一章 杉田玄白 ~医者として、記録者として~

 杉田玄白は、1733(享保18)年、小浜藩医の子として江戸牛込の小浜藩邸に生まれました。玄白は8歳から13歳まで小浜で過ごした後、21歳で小浜藩医として召し抱えられます。玄白がオランダ語の解剖書『ターヘル・アナトミア』に出合ったのは39歳の時でした。江戸小塚原(現東京都荒川区)の処刑場で行われた腑分けに立ち会った玄白は、『ターヘル・アナトミア』の解剖図の正確さに感心し、翻訳することを決意します。そして3年をかけ、ついに『解体新書』という名で出版しました。これは、日本の医学が近代化するきっかけとなり、また西洋の技術や文化を学ぶ蘭学の発達にも影響を及ぼしました。

 玄白の業績は、医学の分野だけに留まりません。当時の社会情勢を批判的に綴った『後見草』、自身の医師としての人生を影法師との問答の中で語った『形影夜話』、そして蘭学のはじまりや『解体新書』翻訳の苦労を回想した『蘭学事始』などの随筆を残しました。そこに記された、学問へ向き合う姿勢や社会への鋭い視点、後世へ向けた教訓は、現代に生きる私たちにとっても示唆に富むものとなっています。
第一章では、『蘭学事始』をはじめ、玄白の随筆作品を味わうとともに、玄白の文筆家としての側面を紹介します。

第二章 かこさとし~子どもたちのために、医を描く~

 絵本作家・かこさとしは、国高村(現越前市)に生まれ、7歳まで福井の豊かな自然の中でのびのびと暮らしました。終戦後、ボランティア活動で紙芝居を書いたことがきっかけとなり、子どもたちが自分自身で考え育つために役立つようにと、多くの絵本を描き続けています。

 かこさとしの作品には、人間の体の仕組みや構造について描いたものが多くあります。作品の中でかこさとしは、子どもたちの素朴な疑問に答えるとともに、子どもたちの成長にとって大切な生活のあり方や環境について、大人たちにも提言しています。
 第二章では、かこさとしが描く人間の体についての作品を紹介します。

第三章 山崎光夫~医学×文学の面白さ~

 福井市出身の山崎光夫は、医療や健康をテーマにした小説やルポルタージュを多く執筆しています。山崎は、早稲田大学教育学部在学中にテレビ番組の構成業を始め、その後、フリー記者の立場で、医学取材に関わるようになります。そして、1985年、現代医療を題材にした「安楽処方箋」で小説現代新人賞を受賞しデビューしました。同年度、「サイレント・サウスポー」で直木賞候補に、続いて「詐病」(1986年)、「ジェンナーの遺言」(1986年)でも同賞の候補となり、注目を浴びました。

 1997年に刊行した『藪の中の家』では、芥川龍之介の自死に迫り、新田次郎文学賞を受賞。2003年には北里柴三郎に初めて焦点を当てた小説『ドンネルの男・北里柴三郎』、2013年には徳川家康にまつわる『我に秘薬あり』を執筆するなど、医療の視点から歴史上の人物に迫っています。
第三章では、山崎光夫の医学に関する文学作品を紹介し、医文学の面白さを紹介します。


2017/03/31

新収蔵品展

新収蔵品展

 開館二周年を迎えた福井県ふるさと文学館は、これまで皆様から多くの資料をご寄贈いただきました。今回は、昨年寄贈された資料を中心とする当館収蔵品展を開催します。直木賞作家有明夏夫の遺作原稿や復元書斎、橘曙覧自筆屏風などを紹介します。
 この機会に、福井ゆかりの文学をさらに知っていただくとともに、ふるさとの文学に関する資料の散逸を防ぎ、貴重な文化遺産を後世に継承していく文学館の活動に理解を深めていただきたいと思います。

期間:4月29日(土・祝)~6月25日(日)
主な展示資料:
 有明夏夫自筆メモ、万年筆、眼鏡、直木賞正賞
 橘曙覧屏風「初ゆき」など
 その他、高山美香氏制作のちまちま人形「山川登美子」も登場
H29新収蔵品展.pdf

展示内容と構成

 本展では、昨年度収集した福井ゆかりの作家に関する資料を中心に公開しています。

 有明夏夫は8才の時に福井県へ疎開。麻生津小、足羽中、勝山精華高と、多感な青少年時代を福井で過ごしました。高校時代に文学への関心を持ち、県下高校創作コンクールに応募した小説が2年続けて第一席に入賞。同志社大学中退後、会社員を経て、1972年に「FL無宿のテーマ」で小説現代新人賞を受賞しデビューしました。

 1979年には明治初期の庶民を描いた捕物帳『大浪花諸人往来』で直木賞受賞。福井ゆかりの作品として、幕末の大野藩が舞台の『幕末早春賦』や、福井の高校生の青春を描いた『俺たちの行進曲』などがあります。また、電話の会話だけで話が進む『最後に死ぬ奴、笑う奴』といった実験的小説やコンピュータ犯罪という新しい素材を扱った小説など多彩な作品を遺しました。

 このたびの展示では、ご遺族からご寄贈いただいた約2,500点(現在精査中)の資料の一部を公開。執筆風景や直木賞の正賞の懐中時計、自筆手帳、日記などを展示しています。

 また、今回、橘曙覧の文集『沽哉集』に収録された文書を記した屏風「初ゆき」「田家鳥」を展示しています。冬や秋の和やかな冬や秋の情景が描かれています。

 橘曙覧は若くして国学を志し、1838年頃足羽山に隠棲。1848年、三ツ橋町の「藁屋」に転居し、清貧を旨として暮らしました。曙覧は国学に影響を受け、『万葉集』に通じる率直清新な歌や、生活に根差した歌など、多くの和歌を残しました。「たのしみは」で始まり「とき」で終わる短歌「独楽吟」は、生活の中の楽しみを詠んだ歌として、現代人にもわかりやすく、多くの人とに親しまれています。

さらに、1958年に51歳で死去した中野鈴子の自筆遺言や、病床の鈴子に宛てた詩人則武三雄の手紙などを展示しています。

 中野鈴子は中野重治の実妹で、重治を頼って上京、検挙された小林多喜二の救援活動を行いました。ナップ(全日本無産者芸術団体協議会)に参加し『働く婦人』を編集するなど、プロレタリア文学運動に携わりました。戦後は新日本文学会福井県支部を結成し、1951年に青年学生たちと文学誌『ゆきのした』を創刊しました。

 高山美香氏が製作した山川登美子ちまちま人形もご覧いただけます。


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