長谷川保敏家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
X0144
資料群名
長谷川保敏家文書
地域(近世,行政村,現在)
大野郡勝山町下元禄,勝山町下元禄
資料の年代
1852年(嘉永5)~1902年(明治35)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
長谷川家は勝山出身。保敏氏の養父保基は勝山藩の公用人等を勤め、維新後は東京で太政官に入り、保敏氏も裁判所を振り出しに内務省・司法省、地方裁判所長などを歴任している。
1880年(明治13)、内務省より石川県に出向し、翌81年の福井県成立時には勧業課長兼庶務課事務取扱を勤めていた。同年11月司法省に入り、富山、秋田などの地方裁判所にて活躍、1902年大阪にて退職。その後も高知で裁判所関係の仕事をしていた。2005年6月、当館に寄贈。
資料群の概要
撮影点数は195点。大半が保敏氏に関する資料で、氏の日記である「家政日誌」をはじめ、辞令、履歴書などがまとまって残されており、維新後の士族の軌跡をたどることができる。
1871年(明治4)-1903年までの「家政日誌」9冊には、公私にわたる記述が詳細に記されており、77年の西南戦争時には、その影響で太政官と警視局を兼務していることも記述されている。しかしながら、その後の同年10月から82年までの日誌1冊が欠けている。その期間の動向については履歴書や辞令によって補うことができる。
履歴書によると、81年(明治14)3月8日、滋賀県より若狭国および敦賀郡の事務引きつぎのため敦賀港に出張しており、「福井県」成立に氏が関わっていたことがうかがえる。辞令は70点ほどあるが、その内には、あまり残存していない成立当初の「福井県」からの辞令が含まれており大変貴重である。
また、氏は68年(明治1)京都にて詩文や絵画等を学んでおり作品が残されているが、漢詩については梁川紅蘭などの門で学んでおり、「梁川」からの書簡も数点残されている。
否撮資料は140点で、写真・漢詩・刊本類である。
利用条件
 
県史収載
 
県史以外の収載
 
複製本番号
X2795~X2813、X2953
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
文書館に事前にお問い合わせください。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。