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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
X0142
資料群名
山内秋郎家文書
地域(近世,行政村,現在)
丹生郡織田村,織田村織田,越前町織田(織田町)
資料の年代
1328年(嘉暦3)~2004年(平成16)
資料目録件数
826
組織歴および履歴
当家資料は2004年(平成16)山内英司氏により寄贈されたものである。寄贈者の父山内秋郎氏が劔神社(越前町)社家上坂津右衛門氏の六男で、母方の山内家を相続したことにより、上坂家(現越前町上坂一夫家 D0014)に伝わった資料群と秋郎氏関係の資料群からなっているが、上坂家伝来の文書が山内家に転出した経緯は明らかではない。所蔵者情報についてはまず、上坂一夫家(D0014)および劔神社(D0021)の所蔵者情報を参照されたい。
「越前国織田静丘上坂津右衛門翁小伝」(00475)によれば、上坂津右衛門(1867-1946)は1883年(明治16)父に代わって劔神社に奉仕し、94年(明治27)には社掌に補された。87年(明治20)からはじまった郷社劔神社の昇格運動は1901年(明治34)に県社昇格として実り、大正期に再びおこった神社昇格運動により23年(大正12)国幣社昇格の内定を受けたが関東大震災のため頓挫、28年(昭和3)漸く国幣小社に昇格した。この間、津右衛門は昇格運動の中心となり、また劔神社由緒の探求と所蔵古文書の整理保管に精魂を傾ける傍ら、郷土資料の収集に努めるとともに、『福井縣史』の編纂者牧野信之助に伝来の古写本「信長日記」などを貸与し、また東京帝国大学教授の伊東忠太、田中義成などの知遇を得て東大史料編纂所による神社古文書調査を導くなど、所蔵文書の中央学会への紹介に努めている。氏はまた、劔神社祠官神足青々に俳句を師事、後には静丘と号して生田連梅に師事して河野花童などと同友し、さらに殿下村武周(現福井市)西雲寺住職護城一成(春章)の門人となり歌道を研鑽した。
横須賀の菓子商山内家の養嗣子となった秋郎氏は家業のかたわら、父津右衛門の業績(社格昇格運動、歴史研究、俳句、和歌など)を顕彰するため、資料の収集と整理を行い、多数の論文を含む本文書群を残している。
また、寄贈者の英司氏はこれらの文書群とは別に、明治期を中心に大量の教科書類を収集されており、今回これらも同時に寄贈された。整理がつき次第公開の予定である。
「越前国織田静丘上坂津右衛門翁小伝」(00475)によれば、上坂津右衛門(1867-1946)は1883年(明治16)父に代わって劔神社に奉仕し、94年(明治27)には社掌に補された。87年(明治20)からはじまった郷社劔神社の昇格運動は1901年(明治34)に県社昇格として実り、大正期に再びおこった神社昇格運動により23年(大正12)国幣社昇格の内定を受けたが関東大震災のため頓挫、28年(昭和3)漸く国幣小社に昇格した。この間、津右衛門は昇格運動の中心となり、また劔神社由緒の探求と所蔵古文書の整理保管に精魂を傾ける傍ら、郷土資料の収集に努めるとともに、『福井縣史』の編纂者牧野信之助に伝来の古写本「信長日記」などを貸与し、また東京帝国大学教授の伊東忠太、田中義成などの知遇を得て東大史料編纂所による神社古文書調査を導くなど、所蔵文書の中央学会への紹介に努めている。氏はまた、劔神社祠官神足青々に俳句を師事、後には静丘と号して生田連梅に師事して河野花童などと同友し、さらに殿下村武周(現福井市)西雲寺住職護城一成(春章)の門人となり歌道を研鑽した。
横須賀の菓子商山内家の養嗣子となった秋郎氏は家業のかたわら、父津右衛門の業績(社格昇格運動、歴史研究、俳句、和歌など)を顕彰するため、資料の収集と整理を行い、多数の論文を含む本文書群を残している。
また、寄贈者の英司氏はこれらの文書群とは別に、明治期を中心に大量の教科書類を収集されており、今回これらも同時に寄贈された。整理がつき次第公開の予定である。
資料群の概要
当家文書は1,556点、うち撮影資料は825点である。上坂家(現越前町上坂一夫家 D0014)に伝わった資料群と山内秋郎氏関係の資料群からなり、前者はさらに上坂家伝来の資料と、上坂津右衛門関係資料に分けられる。
上坂家伝来の資料では中世から近世にかけての劔神社文書に特色がある。なかでも中世文書では新出の文書が14点あり、さらに『福井県史資料編』で劔神社文書として掲載された文書のうち、『丹生郡誌』によったものが16通あることから、新たに30点の新出原文書が確認されたことになる。なお、これらの資料については、当館研究紀要第3号(平成18年3月刊行)に『福井県史資料編』の補遺として翻刻文と松原信之氏の解説を掲載している。
上坂家伝来の資料は前記中世文書を含め、一紙文書は巻子仕立てになっており、冊子体の資料は丁寧に表紙が付けられている。近世文書では織田神社の縁起や由緒書、田畑山林などの争論など財産の管理などに関するもの、京都神祇管領長上卜部氏の神道裁許状や公卿補任帳、同家からの書状など織田神社の禰宜職を務めた上坂家に伝来した文書が大半を占めている。このほか、劔神社文書の写しが大量に巻子に仕立てられている。これらを巻子に仕立てたのは秋郎氏と思われるが、写しが伝来のものか、津右衛門氏によるものか判然としないものが多い。なお、このうち奉加状など諏訪神社に関する文書は寄贈者の意向により原本は調査後返却した。
冊子体の資料には古写本「信長日記」(太田牛一)7巻があり、第1巻の見返しには大正7年6月付の牧野信之助による福井県史編さん用の「借覧証」が貼付してある。他に「信長記」(小瀬甫庵撰)「織田軍記初巻」「永正記」「北国全太平記」「朝倉始末記」など織田・朝倉氏に関するもの、「帰雁記」「越前国名勝誌」「続白山紀行」「越前国名蹟考巻七」「越前地理梗概」など郷土の地誌書などの写本があり、これらも上坂家伝来のものか、津右衛門氏の蒐集になるものか判然としないものが多い。このほか、冊子類には津右衛門の日記や津右衛門による上坂家文書や祭祀関係資料、歴史書、地誌類の膨大な写本や、織田家の出自などに関する論考、和歌・俳諧関係などの津右衛門関係資料が多数ある。
前述のように、劔神社の社格昇格運動を契機に社家伝来の文書を中心に歴史書、地誌類を蒐集した津右衛門と、その業績をたたえるために関係資料を収集整理した秋郎氏の努力の成果であり、貴重な郷土資料群となっている。
否撮資料は秋郎氏の論考、私信、書画等である。
上坂家伝来の資料では中世から近世にかけての劔神社文書に特色がある。なかでも中世文書では新出の文書が14点あり、さらに『福井県史資料編』で劔神社文書として掲載された文書のうち、『丹生郡誌』によったものが16通あることから、新たに30点の新出原文書が確認されたことになる。なお、これらの資料については、当館研究紀要第3号(平成18年3月刊行)に『福井県史資料編』の補遺として翻刻文と松原信之氏の解説を掲載している。
上坂家伝来の資料は前記中世文書を含め、一紙文書は巻子仕立てになっており、冊子体の資料は丁寧に表紙が付けられている。近世文書では織田神社の縁起や由緒書、田畑山林などの争論など財産の管理などに関するもの、京都神祇管領長上卜部氏の神道裁許状や公卿補任帳、同家からの書状など織田神社の禰宜職を務めた上坂家に伝来した文書が大半を占めている。このほか、劔神社文書の写しが大量に巻子に仕立てられている。これらを巻子に仕立てたのは秋郎氏と思われるが、写しが伝来のものか、津右衛門氏によるものか判然としないものが多い。なお、このうち奉加状など諏訪神社に関する文書は寄贈者の意向により原本は調査後返却した。
冊子体の資料には古写本「信長日記」(太田牛一)7巻があり、第1巻の見返しには大正7年6月付の牧野信之助による福井県史編さん用の「借覧証」が貼付してある。他に「信長記」(小瀬甫庵撰)「織田軍記初巻」「永正記」「北国全太平記」「朝倉始末記」など織田・朝倉氏に関するもの、「帰雁記」「越前国名勝誌」「続白山紀行」「越前国名蹟考巻七」「越前地理梗概」など郷土の地誌書などの写本があり、これらも上坂家伝来のものか、津右衛門氏の蒐集になるものか判然としないものが多い。このほか、冊子類には津右衛門の日記や津右衛門による上坂家文書や祭祀関係資料、歴史書、地誌類の膨大な写本や、織田家の出自などに関する論考、和歌・俳諧関係などの津右衛門関係資料が多数ある。
前述のように、劔神社の社格昇格運動を契機に社家伝来の文書を中心に歴史書、地誌類を蒐集した津右衛門と、その業績をたたえるために関係資料を収集整理した秋郎氏の努力の成果であり、貴重な郷土資料群となっている。
否撮資料は秋郎氏の論考、私信、書画等である。
県史収載
 
県史以外の収載
松原信之「山内秋郎家の新出中世文書」(『福井県文書館研究紀要』第3号 2006年 福井県文書館)
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
劣化等保存上の理由から、原本は閲覧できません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
R0048、X2676~X2793、X2895~X2896、X2901~X2904、X2928~X2929、X2943
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