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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
X0092
資料群名
内藤登家文書
地域(近世,行政村,現在)
近江国高島郡木津村,滋賀県高島郡饗庭村,滋賀県高島市新旭町饗庭
資料の年代
1632年(寛永9)~1856年(安政3)
資料目録件数
9
組織歴および履歴
木津村は北国街道沿いの村で、東は琵琶湖に接する。村高は417石余。最初小浜藩領であったが、122石余は1619年(元和5)以降大溝藩領。ただし民政は小浜藩支配下にあった。1879年(明治12)、木津・岡・五十川・日爪・米井の5か村が合併し饗庭村となる。
内藤家については不詳。
内藤家については不詳。
資料群の概要
撮影資料9点は若狭街道関係・木津村絵図・名寄帳・留帳などである。
このうち若狭街道関係では1632年(寛永9)の幕府裁許状がある。これは街道途中の追分村から新道が開かれたため荷物が今津を通らず木津へ着くようになったので、今津浦がその差し止めを求めて訴えを起こしたものである。今津の主張は認められ、京極家と家中の荷物は自由とし、それ以外は今津経由とすることになった。
また、「問屋仲間掟覚」によれば木津の問屋は9人で船も9艘。給米として蔵米5俵を受け取り、運賃は蔵米1石に対し8升、巡礼・旅人運賃については1割7分を納めさせ、半分は問屋、半分は村に納めさせること、株は庶子には分け与えないことなどの取り決めが記されている。
否撮カードはない。
このうち若狭街道関係では1632年(寛永9)の幕府裁許状がある。これは街道途中の追分村から新道が開かれたため荷物が今津を通らず木津へ着くようになったので、今津浦がその差し止めを求めて訴えを起こしたものである。今津の主張は認められ、京極家と家中の荷物は自由とし、それ以外は今津経由とすることになった。
また、「問屋仲間掟覚」によれば木津の問屋は9人で船も9艘。給米として蔵米5俵を受け取り、運賃は蔵米1石に対し8升、巡礼・旅人運賃については1割7分を納めさせ、半分は問屋、半分は村に納めさせること、株は庶子には分け与えないことなどの取り決めが記されている。
否撮カードはない。
県史収載
 
県史以外の収載
『新旭町誌』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
閲覧の際に所蔵者の許可が必要な資料がある。
複製本番号
X1785~X1786
関連資料一覧
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