古世賀男家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
X0059
資料群名
古世賀男家文書
地域(近世,行政村,現在)
大野郡長野村,下穴馬村長野,大野市長野(和泉村)
資料の年代
1629年(寛永6)~1896年(明治29)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
長野村は九頭竜川上流の山村で、村高は14石余。九頭竜川に沿って大野から油坂峠を越えて美濃白鳥にいたる街道に位置する。はじめ福井藩領、1686年(貞享3)幕府領となり、92年(元禄5)以降美濃郡上藩領。郡上藩は、越前国内の大野郡と丹生・南条両郡内の所領を支配するためにそれぞれ若猪野村と千福村に代官所をおいた。当村は若猪野代官所の支配下の穴馬21か村に含まれた。1759年(宝暦9)の村明細帳によると、当村の反別は5町7反余、本途・山手・口米ともに金納であり、小役銀として夫銀・枌役・夫綿・紙役があり、山に依存する人びとの生活をうかがうことができる。1964年(昭和39)、当村にダム(現九頭竜ダム)が建設されることになり、全戸が離村(和泉村全体では11集落、約500世帯)、当家も岐阜県に移住した。
古世家は、与左衛門・与三(惣)兵衛・与三(惣)右衛門を名乗り、所蔵資料で1721年(享保6)ころから庄屋を務めていたことが確認できる。また、1836年(天保7)ころから穴馬21か村の下組の世話役(従来の組頭役・大庄屋役で、上・下組あわせて4人おかれたことが多い)を務めた。48年(嘉永1)に苗字を、57年(安政4)に帯刀を許された。
資料群の概要
当家の撮影資料は、1629年(寛永6)の山譲渡状を初出とし、明治初年までを中心に約1200点を数え、その大半は冊子類である。
資料群は、長野村と穴馬21か村に関するものに分けられ、数量的には前者が圧倒的に多い。内容で分類すると、(1)年貢・盛関係、(2)御用金関係、(3)山論や山稼ぎ関係、(4)鉱山関係、(5)売券・借用証文類、(6)宗門帳、(7)交通関係、(8)災害・救恤関係、(9)穴馬真宗門徒関係、(10)願書留・用留類などがある。
なかでも(1)に関するものが多く、1677年(延宝5)の「本納小物成算用帳」が最も古く、年貢差引帳は100冊をこえる。これらのほとんどが長野村に関するものであるが、「穴馬21か村明細帳」など穴馬谷の概要をつかめるものもある。郷盛関係についても、長野村の負担についてのものがほとんどであるが、一部穴馬下組のものも撮影されており、全体像をとらえることができる。
(3)の山論関係資料も多く、用益権や山境をめぐって長野村と川合村、川合村と伊月村、朝日村と後野村などの間でたびたび争論が起こっている。山稼ぎでは檜皮剥ぎ、炭焼き、板木づくりなどに関するものがあり、このほか木地師に関するものなど、山に関するものは(4)の鉱山関係を含めて多様である。
(6)の宗門帳は、1693年(元禄6)以降1870年(明治3)まで約50冊を数え、とくに天保期前後はよく揃っており、飢饉時の人口減の状況を知ることができる。
(7)の交通には、郡上藩が越前領内の年貢米を郡上八幡へ運ぶための人足駄賃に関するものがある。
(8)は文政期(1818-30)以降の水損や不作のための御救稗の支給などに関するものであり、大雨による道路・橋・渡し場の破損に対する修復手当願や普請にかかわる人足帳などもある。
(10)は主として、当家の与三右衛門が穴馬組の世話役となってから以降のものであり、郡上藩からの布達類などから穴馬組のみならず郡上藩の藩政全般をうかがうことができる。
約400点の否撮資料には、穴馬下組の年貢・郷盛帳、触や廻状、1872年(明治5)・73年の穴馬組内村々の戸籍、地券発行関係書類、神社明細帳、16年(大正5)の郡会関係書類などがある。
利用条件
 
県史収載
資料編7 P.968-999 16点、通史編3 P.287、通史編4 P.33・P.363・P.384・P.499-500
県史以外の収載
『大野郡古文書目録』 『和泉村史』
複製本番号
X0853~X0912、X1105~X1159
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。