永瀬忠右衛門家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
X0058
資料群名
永瀬忠右衛門家文書
地域(近世,行政村,現在)
大野郡大谷村,上穴馬村大谷,大野市(和泉村)
資料の年代
1598年(慶長3)~1920年(大正9)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
大谷村は九頭竜川の上流、伊勢川との合流点に位置する山村であったが、九頭竜ダムによって水没し現在は廃村。村高は10石9斗1升。はじめ福井藩領、1686年(貞享3)幕府領となり、1692年(元禄5)以降郡上藩領。永瀬家は忠右衛門を名乗り、郡上藩領穴馬21か村のうち上組9か村(時代により変更あり)の世話役を務めたほか、当村の庄屋も務めた家であるが、廃村後名古屋に移住している。
資料群の概要
調査した文書は約1000点で、一紙文書の多くは巻子仕立てにされている。内容は多彩で、郡上藩の若猪野代官所(現勝山市)からの達などの触書、当村及び近隣の村の年貢免状・皆済目録や年貢差引帳などの貢租関係、畑直開田に関するものや新田検地帳などの土地関係、交通運輸関係、救恤関係文書が多い。
大野から美濃へ通ずる美濃道は、明治初年まで、九頭竜川沿いの東路(勝原越)、三坂峠を越える中路(若子越)、伊勢峠を越える西路の3つがあり、いずれも当村で合流して国境の油坂峠に至った。郡上藩は、越前での年貢米や奥越各地で買付けた御用米を、美濃国郡上表まで「登せ米」「取越米」「御用米」として、運送したが、穴馬21か村にたいしては高割家割でその運送を強制的に割り当てていた。運送の範囲は、主に穴馬各村から油坂峠を越え美濃国向小駄良村までとなっていた。この輸送に関しては「御用米買入帳」「登米駄賃覚」など約20点の帳面が残っている。また、この夫役と救恤の台帳として「弱者改帳」も作成されている。米のほかには御用荷物の運送もあったが、これも村単位に割り当てられ駄賃は村に配分されていた。
天保飢饉時米価高騰に悩む大野町年寄が、穴馬21か村世話役らに美濃道を通って美濃・飛騨へ売出される米の口留を要請した書状が残されているが、塩荷につくった米を運んだ若生子村の牛方が向小駄良の口番所で摘発され、あわせて穴馬の村にも作食米を運んだことが露見した資料も残されている。穴馬の各村は山間の谷底にわずかの水田を有するのみで、畑高のみの村も多く、米の自給はできないため、年貢はすべて金納であるが、その多様な有様は「穴馬九か村明細帳」はじめ豊富な貢租関係資料により把握することができる。貸借関係の証書類も多く残されており、「杉森」「山剥畑」などの多様な質草は、平野部の諸村とは違った様相を示しており、また、面谷の人物との貸借も多く、大野藩領である面谷銅山と、近隣の郡上藩領諸村とのつながりを示している。
否撮カードは約120点、うち近世資料は100点でその大半(90点)が書状である。これは、当家の一紙文書が貼り継いで巻子仕立てになっていることによるもので(2段に貼ってあるものも多い)、貼ってある文書1点ごとの目録について撮影の要否が判断された結果、前記約90点が否撮となった。さらに撮影された文書は、貼り継ぎの順が無視され、内容・年代ごとに複製本に編綴されている。
利用条件
 
県史収載
資料編7 P.1012-1039 15点、通史編3 P.209 P.391-3、通史編4 P.500
県史以外の収載
『和泉村史』 『大野郡古文書目録』
複製本番号
X0712~X0771
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。