野村宗右衛門家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
X0055
資料群名
野村宗右衛門家文書
地域(近世,行政村,現在)
大野郡久沢村,上穴馬村久沢,大野市(和泉村)
資料の年代
1589年(天正17)~1910年(明治43)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
久沢村は、九頭竜川上流の支流久沢川流域に位置し、美濃国境の山村であり、はじめ福井藩領、1686年(貞享 3)に幕府領となり、92年(元禄5)から美濃郡上藩領である。石高は「正保郷帳」で9石、すべて畑方であり、田は1759年(宝暦9)で3反7畝余とわずかであった。 1863年(文久3)の当家所蔵の宗門人別改帳では、家数26軒、人数179人であった。1964年(昭和39)、当村にダム(現九頭竜ダム)が建設されることになり、全戸が離村(和泉村全体では11集落、約500世帯)、当家も岐阜県に移住した。
野村家は、五郎右衛門、五左衛門、宗右衛門を名乗り、庄屋などの村役人を務めた。
資料群の概要
撮影資料は、(1)検地・貢租関係、(2)山分け・山論関係、(3)氏神の社領・維持管理関係、(4)戸長役場関係、(5)売券・借用証文に大別できる。
(1)では、石盛と名請人のみ記載した水帳(安永3、天明4)、免定、「久沢村年貢郷割帳」(文政7-天保13)などがある。免定は、1759年(宝暦9)から1846年(弘化3)までのうち11年分が残存しており、この間、山手銀・口米とともに、枌役や黐役や紙役などが銀納されていた。
(2)に関連して、1856年(安政3)に本家・半役26軒の村中の入会山である「わさ又山」での栃ひろい、焼畑などについて定めた村定証文も含まれる。
(3)では、久沢村と米俵村との氏神である小川原明神の社領をめぐって、1738年(元文3)にその境界を明確にし、加地子の用途も定めた。しかし、その後も明治初年までたびたび争論が続いている。
(4)では、1879年(明治12年)からの久沢村戸長役場の書類綴、84年から88年ころまでの長野村外10か村戸長役場との間の書類綴が残っている。
さらに、資料群のなかで大部を占めるのは、(5)である。1589年(天正17)の「田地作職売券」をはじめとする資料編掲載の4点が最も古く、江戸後期から明治20年代まで大量の借用証文・売券がある。売買や質物の対象となっているのは、畑・「あらし」(焼畑)・田・杉森・稗・家屋敷・家財などで稗を代価としている場合も少なくなかった。面谷銅山に隣接していたこともあり、鉱山入用炭の生産が多く、関連の前借証文も含まれる。また、特殊な事例ではあるが、1833年(天保4)に村内の木地師が、木地を質にして大野町の商人から高額の借金をしたものもあった。
否撮資料は、少なく「御宮差引帳」など数点のみである。
利用条件
 
県史収載
資料編7 P.1039-1044 8点 通史編4 P.363・P.384
県史以外の収載
『大野郡古文書目録』『和泉村史』
複製本番号
X0694~X0701、X1954~X1976
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。