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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
X0054
資料群名
三島雄一郎家文書
地域(近世,行政村,現在)
大野郡箱ケ瀬村,上穴馬村箱ケ瀬,大野市箱ケ瀬(和泉村)
資料の年代
1614年(慶長19)~1887年(明治20)
資料目録件数
78
組織歴および履歴
箱ヶ瀬村は九頭竜川上流の山間部に位置し、12石余ですべて畑方だが、この石高は持穴村の分村により、「元禄郷帳」「越前名蹟考」「天保郷帳」等ではいずれも7石余と減少する。ちなみに、当村の枝村は「越前名蹟考」によれば、持穴・面谷・池ノ島・ぬし屋である。 当村は近世当初に福井藩領であったが、1624年(寛永1)に大野藩領となって明治維新に至っている。
この村の庄屋や百姓代として当家文書のなかによく登場するのが「又三郎」、「三嶋又三郎」であり、当家の先祖になると考えられる。紙商売の巧者として近郷に知られ、かつまた、荷暮銅山登物運送関係をつとめて郡上藩から褒状を授与されていることが当家文書でわかる。また、明治初年ころの当家文書のなかに登場する「三嶋又右衛門」は副戸長を務めており、同じく当家の先祖と考えられる(否撮文書カ-ドによるもので詳細不明)。
奥越電源開発事業によるダム建設にともない、水没地区の1つとなった当地区は1964年(昭和39)廃村となり、当家の人々は現住所に転居した。
この村の庄屋や百姓代として当家文書のなかによく登場するのが「又三郎」、「三嶋又三郎」であり、当家の先祖になると考えられる。紙商売の巧者として近郷に知られ、かつまた、荷暮銅山登物運送関係をつとめて郡上藩から褒状を授与されていることが当家文書でわかる。また、明治初年ころの当家文書のなかに登場する「三嶋又右衛門」は副戸長を務めており、同じく当家の先祖と考えられる(否撮文書カ-ドによるもので詳細不明)。
奥越電源開発事業によるダム建設にともない、水没地区の1つとなった当地区は1964年(昭和39)廃村となり、当家の人々は現住所に転居した。
資料群の概要
撮影された近世文書は村方文書・家文書・道場関係の文書に分けられる。村方文書としては(1)高札関係・鉱山定式関係など支配者からのもの、(2)面谷村との山林伐木の争論関係・下半原村との村境の争論関係(絵図あり)、(3)天狗党(水戸浪士)侵入の対処のため大野藩が焼いた住居の補償要求関係、などがある。家文書としては(4)近在からの紙商売世話方要望関係、(5)郡上藩からの褒状・献金受取書関係、(6)多数の杉森売券、などがある。(2)・(3)は「歳鑑」と題する冊子にまとめられている。道場関係の文書としては、少ないが当村惣道場の本尊裏染筆がある。
近代文書は7点と少ない。明治初年のころの杉森売券のほか、1887年(明治20)前後の入会山取替証がある。
否撮文書は近世では、高札関係・親鸞の書簡写し関係など。近代では当村の丈量野取帳・壱筆限帳・教育事務に関する賞状・真宗関係の蓮如や乗如の書簡等写し・三島家由緒などがある。ほかに1837年(天保8)-88年(明治21)の当村死亡者年月日の冊子など、近世・近代を通じて記録されたものがある。
近代文書は7点と少ない。明治初年のころの杉森売券のほか、1887年(明治20)前後の入会山取替証がある。
否撮文書は近世では、高札関係・親鸞の書簡写し関係など。近代では当村の丈量野取帳・壱筆限帳・教育事務に関する賞状・真宗関係の蓮如や乗如の書簡等写し・三島家由緒などがある。ほかに1837年(天保8)-88年(明治21)の当村死亡者年月日の冊子など、近世・近代を通じて記録されたものがある。
県史収載
 
県史以外の収載
『大野郡古文書目録』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
X0705~X0707
関連資料一覧
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