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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
X0047
資料群名
酒井惇子家文書
地域(近世,行政村,現在)
敦賀郡赤崎浦塩込(鞠山),東浦村鞠山,敦賀市鞠山
資料の年代
1832年(天保3)~1932年(昭和7)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
酒井家は鞠山藩主であった。1682年(天和2年)、酒井忠稠が小浜藩2代藩主であった父忠直の遺領のうち、1万石を分知されて成立した(『寛政重修諸家譜』)。忠稠の所領は、のち敦賀郡赤崎浦の鞠山に陣屋が置かれたことで鞠山藩と呼ばれた。
領地は5,000石が敦賀郡のうち、残る5,000石が近江高島郡のうちで渡され、敦賀郡の所領は郡東部を中心に22か村に設定された。小浜藩の支配から離れて直接鞠山藩による支配が始まるのは1759年(宝暦9)からである。
領地は5,000石が敦賀郡のうち、残る5,000石が近江高島郡のうちで渡され、敦賀郡の所領は郡東部を中心に22か村に設定された。小浜藩の支配から離れて直接鞠山藩による支配が始まるのは1759年(宝暦9)からである。
資料群の概要
鞠山藩関係資料である。鞠山藩は敦賀郡で5,000石、近江高島郡で5,000石のあわせて1万石を有しており、この両郡の村々の領主名を記した「御地頭記」のほか、陣屋住居絵図、酒井家系譜・系図、初代忠稠略伝、藩士要覧、鞠山藩五士事情始末、新政府からの達書や新政府への届書などを記した綴、書簡類などがある。
五士事情始末は、1868年(明治1)6月京都において藩政の将来を憂いた藩士5人が家老殺害におよんだ事件についてのものである。書簡には、鞠山神社や上海事変戦死者葬祭に関するものがある。
五士事情始末は、1868年(明治1)6月京都において藩政の将来を憂いた藩士5人が家老殺害におよんだ事件についてのものである。書簡には、鞠山神社や上海事変戦死者葬祭に関するものがある。
県史収載
 
県史以外の収載
『敦賀市史料目録Ⅰ』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
閲覧できない資料あり。
複製本番号
X1104、X2287~X2288
関連資料一覧
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