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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
X0035
資料群名
斉藤五郎兵衛家文書
地域(近世,行政村,現在)
敦賀郡縄間浦,松原村縄間,敦賀市縄間
資料の年代
1372年(文中1)~1903年(明治36)
資料目録件数
221
組織歴および履歴
縄間浦は、敦賀湾西岸に面する敦賀半島の西浦10か浦のひとつである。村高は128石余。はじめ福井藩領、1624年(寛永1)以降小浜藩領。農業のほか漁業に従事した。67年(寛文7)の家数16、人数113人。斉藤家は、当浦の庄屋などを務め、1840年(天保11)の所持高は34石余。
当家文書は1979年(昭和44)滋賀大学経済学部に寄贈され、現在に至っている。
当家文書は1979年(昭和44)滋賀大学経済学部に寄贈され、現在に至っている。
資料群の概要
近世資料は(1)貢租関係、(2)砂入帳・検見帳類、(3)常宮社および宗清寺関係、(4)漁業・塩関係、(5)売券・借用証文類、(6)廻船浮囲関係、(7)諸願書・送り状類などに分けられる。
(1)には免状や年貢割帳のほか塩納通があり、塩年貢として塩79俵余を納めていたことがわかる。(4)は敦賀湾内の小湾である常宮湾内の村々と当浦の争論に関するものである。名子浦との間では1635年(承応4)の秋網立をはじめとして、1758年(宝暦8)・1845年(弘化2)・50年(嘉永3)には大網入れをめぐって争っている。常宮浦とは常宮社前の海への大網入れをめぐって争っている。(6)の浮囲ができるのは常宮湾のみであり、加賀・越後・津軽などの廻船が当浦で浮囲している。
明治期の資料は租税関係、地租改正関係、戸籍関係、村規則、漁業組合規約などがある。
(1)には免状や年貢割帳のほか塩納通があり、塩年貢として塩79俵余を納めていたことがわかる。(4)は敦賀湾内の小湾である常宮湾内の村々と当浦の争論に関するものである。名子浦との間では1635年(承応4)の秋網立をはじめとして、1758年(宝暦8)・1845年(弘化2)・50年(嘉永3)には大網入れをめぐって争っている。常宮浦とは常宮社前の海への大網入れをめぐって争っている。(6)の浮囲ができるのは常宮湾のみであり、加賀・越後・津軽などの廻船が当浦で浮囲している。
明治期の資料は租税関係、地租改正関係、戸籍関係、村規則、漁業組合規約などがある。
県史収載
 
県史以外の収載
 
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
X0967~0973
関連資料一覧
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