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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
X0028
資料群名
右近権左衛門家文書
地域(近世,行政村,現在)
南条郡河野浦,河野村河野,南越前町河野(河野村)
資料の年代
1733年(享保18)~1920年(大正9)
資料目録件数
1633
組織歴および履歴
右近家は、河野浦の村役人を務め、近世後期から明治期にかけて北国海運業に従事した(H0054中村三之丞家文書参照)。当家は、1680年(延宝8)河野浦の金相寺4代目の弟が分家したことに始まる。分家の際、田畑山林とともに船1艘を与えられた。代々の権左衛門の船は、近江商人の荷所船として松前蝦夷地と敦賀・小浜等を結ぶ日本海を往復していたと考えられる。1827年(文政10)の宗門改下帳によると、当家権左衛門は8石3斗余を所持し、家内人数は当主8代目夫婦、母、倅権太郎(9代目)・卯之助・娘2人、弟嘉助夫婦・娘の10人である。8代目権左衛門は、38年(天保9)の幕府巡見使通行の際には本陣をつとめた。
9代目権左衛門(1816-88)の頃から北前船の積極経営を行い、廻船数を増やし、63年(文久3)には11艘とし、利益は12,000両余に達している。
幕末から明治前期にかけて北前船は最盛期であったが、明治20年代半ばにかげりをみせ始めていく中、10代目権左衛門(1853-1916)は所有廻船を西洋型帆船、さらには蒸気船へ切り替え、大量の商品を運びその運賃を稼ぐ経営に転換した。また、海上保険業の創始に他の北前船主とともに携わり、1896年(明治29)に「日本海上保険株式会社」を創立した。
9代目権左衛門(1816-88)の頃から北前船の積極経営を行い、廻船数を増やし、63年(文久3)には11艘とし、利益は12,000両余に達している。
幕末から明治前期にかけて北前船は最盛期であったが、明治20年代半ばにかげりをみせ始めていく中、10代目権左衛門(1853-1916)は所有廻船を西洋型帆船、さらには蒸気船へ切り替え、大量の商品を運びその運賃を稼ぐ経営に転換した。また、海上保険業の創始に他の北前船主とともに携わり、1896年(明治29)に「日本海上保険株式会社」を創立した。
資料群の概要
当家文書は(1)当家の経営関係、(2)廻船関係、(3)村関係、(4)家関係に分けられる。なかでも(1)(2)がその大半を占め、9代目時代のものが多い。
(1)は廻船経営全般に関わる経営帳簿類(勘定帳・差引帳・大福帳・売買帳・積入帳・荷物帳・水揚帳・中荷金帳・金銭出入帳・仕訳帳)である。農業経営では、小作𢩹に関するものがある。
(2)は右近家の持船ごとに作成されて本家に提出された帳簿類のほか、各地の港で積荷商品を売買した際に相手商人から渡された仕切状類、廻船船頭から船主や他の廻船にあてて出された書状・書簡類である。
(3)は幕府巡見使、社倉、年貢関係、五人組帳などである。
(4)は祝儀帳、歳暮帳、蔵普請帳などである。
(1)は廻船経営全般に関わる経営帳簿類(勘定帳・差引帳・大福帳・売買帳・積入帳・荷物帳・水揚帳・中荷金帳・金銭出入帳・仕訳帳)である。農業経営では、小作𢩹に関するものがある。
(2)は右近家の持船ごとに作成されて本家に提出された帳簿類のほか、各地の港で積荷商品を売買した際に相手商人から渡された仕切状類、廻船船頭から船主や他の廻船にあてて出された書状・書簡類である。
(3)は幕府巡見使、社倉、年貢関係、五人組帳などである。
(4)は祝儀帳、歳暮帳、蔵普請帳などである。
県史収載
資料編6 P.836-845 4点、通史編3 P.439、通史編4 P.442・P.443・P.458-462・P.601、通史編5 P.606・P.666・P.671・P.674
県史以外の収載
『河野村誌』、『右近権左衛門文書目録』、外岡慎一郎「「敦賀屋」調査報告(第2次)」(『敦賀論叢』23 2008年)
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
X0211~X0215、X0427~X0452、X0524~X0553、X1802~X1866、X1940~X1953、X1977~X2011
関連資料一覧
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