安養寺文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
X0011
資料群名
安養寺文書
地域(近世,行政村,現在)
美濃国郡上郡八幡町,岐阜県郡上郡八幡町,岐阜県郡上市八幡町
資料の年代
1570年(元亀1)~1582年(天正10)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
八幡町は長良川と吉田川が合流する地点にある。1559年(永禄2)、遠藤氏が八幡山に城を築き、八幡城と名付けた。それ以後、5家16代の間郡上郡域を治める領主の居城となっていた。1600年(慶長5)稲葉氏より旧知を奪還した遠藤氏がここを居城として以来、郡上藩の城下町となった。
安養寺は、浄土真宗大谷派の寺院である。系図によると、佐々木高綱の3男高重(法名西信)が出家して一寺を建てたのがはじまりという。その後安八郡輪之内町、越前穴馬と移り、1539年(天文8)郡上郡白鳥に移転した。石山合戦のとき、武田信玄・朝倉義景と連絡をとり本願寺のためにつくしたが、織田信長によって焼かれ、飛騨白川に退去し、その後八幡町に再建されたという。
資料群の概要
撮影文書は49点で、書状類と佐々木氏の系図からなる。書状類は年未詳のものが多いが、ほとんどが天正期前後のものと思われる。武田信玄が織田信長を討とうとした折、安養寺は本願寺顕如の連絡をうけて領主を説得して武田勢に味方させている。この頃の信玄と安養寺の関係をものがたるのが1572年(元亀3)の武田信玄書状である。また、信玄の遠江・三河進出に関する同年の朝倉義景の書状や、石山合戦の際、本願寺顕如が郡上の惣門徒に出した70年(元亀1)の書状も残っている。82年(天正10)の遠藤秀繕の書状からは、本能寺変後の情勢が推察でき非常に興味深い。ほかに下間頼廉、本願寺教如らの書状が撮影されている。
利用条件
 
県史収載
資料編2 P.632 1点 、 通史編2 P.766・P.1000
県史以外の収載
『岐阜県史』 『郡上八幡町史』 『郡上八幡の文化財』
複製本番号
X0057
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。