桜井大隅家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
X0009
資料群名
桜井大隅家文書
地域(近世,行政村,現在)
大野郡石徹白村,福井県大野郡下穴馬村石徹白,岐阜県郡上市白鳥町石徹白
資料の年代
1496年(明応5)~1868年(明治1)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
石徹白村は九頭竜川の支流石徹白川の奥筋に位置する。当村は越前国にあり(1958年福井県下から岐阜県下へ移る)、平安時代後半より盛んとなった白山信仰のなかで整えられた白山三馬場の1つである美濃馬場(長滝寺)からの白山登拝の道筋中にあたる宿(遙拝所)の1つとして、美濃馬場の中居の地と呼ばれ、栄えてきた。また、当村は500余石で白山下ノ神社(白山中居神社)領として郡上藩に預けられ、無高の村として年貢は免除された。
村民は社家あるいは社人と呼ばれ、苗字帯刀を許され、村や社の重要事項を合議する12人の頭社人(おとな、御年寄とも呼ばれ、国守の官名を名乗ることがある)、他の平社人(そのうち12人の組頭は八省卿等の官名を名乗ることがある)、末社人に分かれていた。
また、神職については、庄屋格で重要事項は頭社人と合議する神頭(ことうと読み、もとは頭社人間で1年交替、世襲であったが、石徹白騒動後また1年交替に戻る)、他の神主(頭社人間で交替)、弊司、神楽司(以上世襲)などがあった。
この社領は神頭職の杉本左近が代々支配し、社家100余人も支配してきたが、1752年(宝暦2)白川家(両部神道)派の杉本に対して吉田家(唯一神道)派の神主上村豊前の対立が顕在化し、1758年(宝暦8)に郡上藩での百姓一揆とともに幕府評定所で処断され、金森氏改易の要因となった。この石徹白支配をめぐる一件を石徹白騒動という。
桜井を名乗る家は杉本家と縁戚関係にあり、頭社人に2家、ほかに弊司を代々務めた1家がある。
資料群の概要
中世のおもなものとして、石徹白長澄から桜井平右衛門尉あての土地渡状、起請文、朝倉信鏡から桜井平右衛門尉あての土地充行状、朝倉景鏡から桜井福千世あての書状、岡部氏や三浦氏から桜井平右衛門尉あての桜井坊契約状、吉田家の唯一宗源神道行事に対する幕府の御教書や後奈良天皇の綸旨がある。
近世のおもなものとして、五郎右衛門の神主就任の書状、白山造営資金や長滝中之坊についての書状、本多伊豆守から石徹白籐十郎あての別山堂中の安堵状、同じく別山室の支配をめぐって石徹白村と平泉寺の紛争関係証文、石徹白騒動直後の1759年(宝暦9)に記録された石徹白豊前と配下の持ち分の田畑山林目録、桜井大隅による先祖書上などがある。
近代のものは、1868年(明治1)のもののみで、東山道鎮撫総督の布告、太政官にあてた桜井先祖書がある。
調査資料のうち、否撮資料はない。
利用条件
 
県史収載
 
県史以外の収載
『白鳥町史』『岐阜県史』
複製本番号
X0055
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。