飛騨郡代高山陣屋文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
X0001
資料群名
飛騨郡代高山陣屋文書
地域(近世,行政村,現在)
飛騨国大野郡高山町,岐阜県大野郡高山町,岐阜県高山市
資料の年代
1553年(天文22)~1870年(明治3)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
飛騨国の中央にある高山盆地に高山町(現高山市市街地)があった。ここ(高山三之町村)に高山陣屋が置かれていた。
飛騨国一円を支配していた高山藩主の金森氏が出羽国上山に移封となった後、江戸幕府は飛騨国および周辺の幕府直轄領を管轄する地方行政官として飛騨代官を置くこととし、高山に陣屋(代官所)を設置し、関東郡代が飛騨代官を兼務する形となった。
1715年(正徳5)、専任の飛騨代官が置かれたが、飛騨代官の高山陣屋在勤制は38年(元文3)からである。66年(明和3)に飛騨代官として着任した大原彦四郎紹正は、74年(安永3)、飛騨3郡で5万5000石余に増石をなし、都合10万石を越えた検地の功により77年(安永6)に飛騨郡代に昇進した。なお、飛騨郡代と越前との関わりが生じたのは、66年(明和3)に飛騨代官の大原彦四郎紹正が本保代官を兼務してからであり、翌67年(明和4)、飛騨代官は越前国幕府領を併せ管轄することとなった。以後、幕末まで郡代制がしかれ、飛騨郡代在任年数は芝与市右衛門正盛の14年が最高で、最短は2年である。
支配地は山林・鉱山地域を中心に飛騨国と美濃・越前両国の一部、および越前・加賀の白山麓と預所を含め1838年(天保9)には11万4052石余であった(越前国の村々は時代により変化があるが、62年当時は丹生郡81村、今立・大野両郡各50村、南条郡15村の6万4944石余であった)。飛騨郡代3陣屋の1つとして越前本保の出張陣屋には58年(安政5)当時には飛騨郡代配下の役人が7名詰めており、飛騨郡代は秋の検見の折に来訪するのが通例であった。
飛騨郡代は1868年(明治1)、明治政府の東山道鎮撫使の飛騨入国により廃止となった。また、越前の旧幕府領は福井藩預かりとなった。なお、1870年本保陣屋に本保県庁が置かれたが、福井県成立に至るまでの経緯が錯綜したため、当陣屋文書はほとんど散逸し、斎藤槻堂により天保8年の日記の一部が復刻されている程度である。
資料群の概要
調査・撮影したもののうち、中世のものとして唯一、小早川隆景書状があるが、後世の写らしい。
近世のものはほとんど冊子で、内容で分類すれば、租税関係・銀山関係・巡見関係・夫食関係・新田開発関係・国防関係・その他支配関係に分けられ、飛騨郡代から幕府勘定所に提出した伺書や報告書の写が多い。租税関係では、「物成置米伺書」、「物成置米残勘定組伺書」、「廻米欠請負伺書」、「林永・草永取立勘定伺書」、「定免・検見取箇目録」、「定免一村限帳」、「取箇其他御改革御用留」など。銀山関係では、「越前国銀(堀名銀山)絞御用留」など。巡見関係では、「巡見御用留」など。夫食関係では、「夫食下穀勘定組伺書」、「貯夫食下穀伺書」、「夫食拝借金元証文引継添伺書」など。新田開発関係では、「空地新開高伺書」など。寛政年間からの異国船出没に対処する海防関係は、幕府の政策の変遷を反映しており、資料は数多い。また、南条郡海岸線の絵図などもある。
その他として、「貯穀取斗伺書」、「村々差出金勘定継伺書」、「地役人御用留」、郡代に提出された郡代の穴馬道不通行願、越前国から山中に入る漆掻稼人の取締願などがある。
近代のものは少ない。越前国武生新在家出身で病気になった出稼人の送還・投薬介抱願書、新政批判の落文類、元福井藩士尾崎剛作の高山県官履歴書などである。
利用条件
閲覧できない資料あり。
県史収載
通史編3 P.210
県史以外の収載
『岐阜県史』『岐阜県立図書館郷土資料目録』第1集、『岐阜県歴史資料館飛騨郡代高山陣屋文書』その2(補遺)
複製本番号
X0012~X0018、X1304
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。