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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
Q0067
資料群名
渡辺源右衛門家文書
地域(近世,行政村,現在)
大飯郡市場村,本郷村本郷,おおい町本郷(大飯町)
資料の年代
1659年(万治2)~1893年(明治26)
資料目録件数
598
組織歴および履歴
市場村は本郷三か村の一つで、佐分利川河口左岸に位置する。小浜藩領で、村高は「正保郷帳」で414石余、「元禄郷帳」「稚狭考」で417石余、「天保郷帳」で430石余。
渡辺家は源右衛門を称し、庄屋などを務める一方、江戸時代後期より廻線・酒造問屋・炭などの商売を営むようになった。
渡辺家は源右衛門を称し、庄屋などを務める一方、江戸時代後期より廻線・酒造問屋・炭などの商売を営むようになった。
資料群の概要
調査点数は約600点にのぼり、(1)市場村の庄屋文書、(2)渡辺家の私家文書からなる。
(1)の残存状況は断片的であり、1659年(万治2)「市場村名寄帳」、願書類、村明細(年未詳)、1837年(天保8)から38年にかけての巡見使関連などである。
これに対して(2)は、炭問屋、酒造、通船、調達金、講など多岐にのぼり、大部な売券、借用証文が含まれる。
小浜湾では順礼や諸荷物などを運ぶ通船が運行しており、天正期(1573-92)以前から特権を与えられていた桑村家(0088)をはじめとして、本郷・和田(Q0027市瀬吉坂家文書参照)などの船がこれに携わっていた。これについて1713年(正徳3)の本郷3か村と小堀村の間で定められて順礼舟仲間の定書、1772年(安永1)に源右衛門が刀祢の舟株を譲り受けた際の「市場村刀祢舟株譲証文」がある。市場村等12か村がこの舟に出資していた。
また、1760年(宝暦10)に小浜藩によって開かれた野尻銅山は1771年(明和8)に休山となるが、渡辺家は銅山用の残炭を引き請けて他国売を行った。1841年(天保12)に大坂住友家により銅山が再開されると、名田庄谷などで焼き出される炭を仕入れ、銅山御用として納めるようになった。この炭御用に関連する達書類、他国売の願書、炭用立木の売券等が含まれる。
売券、借用証文約200点は数年単位で一括して撮影されている場合が多く、総数は850点にのぼる。本資群では枝番号を付してこれらを分割する作業を行わなかった。
否撮カードは23点で、1877年(明治10)「地価取調帳」、1881年(明治14)「田畑宅証綴込」、米手形16点などである。
(1)の残存状況は断片的であり、1659年(万治2)「市場村名寄帳」、願書類、村明細(年未詳)、1837年(天保8)から38年にかけての巡見使関連などである。
これに対して(2)は、炭問屋、酒造、通船、調達金、講など多岐にのぼり、大部な売券、借用証文が含まれる。
小浜湾では順礼や諸荷物などを運ぶ通船が運行しており、天正期(1573-92)以前から特権を与えられていた桑村家(0088)をはじめとして、本郷・和田(Q0027市瀬吉坂家文書参照)などの船がこれに携わっていた。これについて1713年(正徳3)の本郷3か村と小堀村の間で定められて順礼舟仲間の定書、1772年(安永1)に源右衛門が刀祢の舟株を譲り受けた際の「市場村刀祢舟株譲証文」がある。市場村等12か村がこの舟に出資していた。
また、1760年(宝暦10)に小浜藩によって開かれた野尻銅山は1771年(明和8)に休山となるが、渡辺家は銅山用の残炭を引き請けて他国売を行った。1841年(天保12)に大坂住友家により銅山が再開されると、名田庄谷などで焼き出される炭を仕入れ、銅山御用として納めるようになった。この炭御用に関連する達書類、他国売の願書、炭用立木の売券等が含まれる。
売券、借用証文約200点は数年単位で一括して撮影されている場合が多く、総数は850点にのぼる。本資群では枝番号を付してこれらを分割する作業を行わなかった。
否撮カードは23点で、1877年(明治10)「地価取調帳」、1881年(明治14)「田畑宅証綴込」、米手形16点などである。
県史収載
資料編9 P.1100-1107 10点
県史以外の収載
 
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
Q0394~Q0418
関連資料一覧
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