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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
Q0063
資料群名
荒木新輔家文書
地域(近世,行政村,現在)
大飯郡本郷上下村,本郷村本郷,おおい町本郷(大飯町)
資料の年代
1582年(天正10)~1877年(明治10)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
本郷上下(うえした)村は佐分利川河口左岸に位置し、丹後街道が通る。小浜藩領で村高は「正保郷帳」で704石余、「元禄郷帳」「稚狭考」で710石余、「天保郷帳」「旧高旧領」では715石余。江戸時代には隣接する本郷市場村・下薗村とともに本郷3か村とも称された。
荒木家は庄屋・組頭を務めるとともに、巡見使や酒井氏廻国の際の本陣ともなり、持高のうち、同村の村松家と合わせて100石(荒木家59石)が課役免除であった。
荒木家は庄屋・組頭を務めるとともに、巡見使や酒井氏廻国の際の本陣ともなり、持高のうち、同村の村松家と合わせて100石(荒木家59石)が課役免除であった。
資料群の概要
当家の資料群約200点は(1)本郷上下村の庄屋文書、(2)荒木家の私文書、(3)その他に大別される。
(1)では藩法・村法や巡見使関係、争論、年貢、宗教関係の文書がある。
このうち巡見使関係では、本郷村が1675年(延宝3)小浜藩の「泊り村」の1つに指定されている(P0045荻野八左衛門家文書00018参照)ことから、宿割帳や入用帳などが残っている。
争論では「上下村入用銀割方出入ニ付覚書」がある。これは本郷上下村の入用銀の割方をめぐる大高持と小高持の争論の記録である。
(2)には荒木家の由緒書・系図、商業、野尻銅山、頼母子講、借用証文・売券類、記録、覚帳などがある。
このうち1582年(天正10)の「本郷泰栄安堵状」に本郷氏の重臣荒木加賀守という人物がみえ、当家はこの人物の子孫と伝える。当家は1602年(慶長7)にすでに6人乗のはがせ船2艘を所有しており(O0088小浜市立図書館(桑村家旧蔵)文書参照)、1771年(明和8)の「野尻銅山覚」によれば宝暦・明和期(1751-72)の野尻銅山の開発にあたって銅荷等輸送の問屋を命ぜられ、1827年(文政10)には小浜藩の石灰の生産販売を引き受けていた板屋伝兵衛の出店の権益を獲得するなど多様な経済活動を行っていた。
(3)には明治期の租税関係の文書などがある。
否撮カードは若狭郡県志、巡見使関係や七社大明神関係の入用帳、売券など45枚。
(1)では藩法・村法や巡見使関係、争論、年貢、宗教関係の文書がある。
このうち巡見使関係では、本郷村が1675年(延宝3)小浜藩の「泊り村」の1つに指定されている(P0045荻野八左衛門家文書00018参照)ことから、宿割帳や入用帳などが残っている。
争論では「上下村入用銀割方出入ニ付覚書」がある。これは本郷上下村の入用銀の割方をめぐる大高持と小高持の争論の記録である。
(2)には荒木家の由緒書・系図、商業、野尻銅山、頼母子講、借用証文・売券類、記録、覚帳などがある。
このうち1582年(天正10)の「本郷泰栄安堵状」に本郷氏の重臣荒木加賀守という人物がみえ、当家はこの人物の子孫と伝える。当家は1602年(慶長7)にすでに6人乗のはがせ船2艘を所有しており(O0088小浜市立図書館(桑村家旧蔵)文書参照)、1771年(明和8)の「野尻銅山覚」によれば宝暦・明和期(1751-72)の野尻銅山の開発にあたって銅荷等輸送の問屋を命ぜられ、1827年(文政10)には小浜藩の石灰の生産販売を引き受けていた板屋伝兵衛の出店の権益を獲得するなど多様な経済活動を行っていた。
(3)には明治期の租税関係の文書などがある。
否撮カードは若狭郡県志、巡見使関係や七社大明神関係の入用帳、売券など45枚。
県史収載
資料編9 P.1025-1042 19点、通史編3 P.156・P.256・P.279・P.299・P.369、通史編4 P.219・P.321・P.344
県史以外の収載
「若狭国古文書目録(二)」(『若狭』第五号)
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
Q0375~Q0387
関連資料一覧
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