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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
Q0037
資料群名
中山寺文書
地域(近世,行政村,現在)
大飯郡中山村,青郷村中山,高浜町中山
資料の年代
1343年(康永2)~1874年(明治7)
資料目録件数
425
組織歴および履歴
中山村は青葉山南山麓に位置する。小浜藩領で、村高は「正保郷帳」「元禄郷帳」によれば157石余、「天保郷帳」では158石余。
中山寺は山号青葉山、泰澄の開創と伝えられ、真言宗御室派の寺院である。平城天皇の勅願所。一時荒廃した後、法印覚阿師が再興して一乗寺と称し、のち中山寺と改称したとされる。本堂および木像馬頭観音座像、木像金剛力士像は国の重要文化財。
中山寺は山号青葉山、泰澄の開創と伝えられ、真言宗御室派の寺院である。平城天皇の勅願所。一時荒廃した後、法印覚阿師が再興して一乗寺と称し、のち中山寺と改称したとされる。本堂および木像馬頭観音座像、木像金剛力士像は国の重要文化財。
資料群の概要
資料群約420点はほとんどが寺院関係である。
(1)中世資料は18点。寄進状が中心であり、南北朝期の源惟綱、但治光政等の寄進によって寺領が形成されていく過程が分かり、室町期には1418年(応永25)・53年(享徳2)と、東三松に形成された市場の職人・商人が大般若田を寄進していることが注目される。また、1397年(応永4)の一乗寺壁書写、1441年(嘉吉1)の置文写などもある。さらに1506年(永正3)の武田元信願文は写であるが、元信が丹後攻撃をするにあたり奉納したものである。
(2)近世資料は370点余。藩主酒井氏の巡見関係があり、当寺が休憩所となったことがわかる。また、修復・再建願、売券、往来手形、寺送り状、開帳願、後住願、縁起等のほか、1834年(天保5)-35年の世久津村と臥竜院の争論がある。これは寺地をめぐって紛糾した後、臥竜院が村の檀家の仏事を拒否したとして争論となったもので、従来通り村民の土地として内済になっている。
(3)近代資料は約30点。神仏分離に関する太政官達、教部省からの達、馬頭観音開帳願、寺送り状、持高覚、地券改願など。
否撮カードは5枚、経典類・良乗葬儀記録・庫裏普請記録など。
(1)中世資料は18点。寄進状が中心であり、南北朝期の源惟綱、但治光政等の寄進によって寺領が形成されていく過程が分かり、室町期には1418年(応永25)・53年(享徳2)と、東三松に形成された市場の職人・商人が大般若田を寄進していることが注目される。また、1397年(応永4)の一乗寺壁書写、1441年(嘉吉1)の置文写などもある。さらに1506年(永正3)の武田元信願文は写であるが、元信が丹後攻撃をするにあたり奉納したものである。
(2)近世資料は370点余。藩主酒井氏の巡見関係があり、当寺が休憩所となったことがわかる。また、修復・再建願、売券、往来手形、寺送り状、開帳願、後住願、縁起等のほか、1834年(天保5)-35年の世久津村と臥竜院の争論がある。これは寺地をめぐって紛糾した後、臥竜院が村の檀家の仏事を拒否したとして争論となったもので、従来通り村民の土地として内済になっている。
(3)近代資料は約30点。神仏分離に関する太政官達、教部省からの達、馬頭観音開帳願、寺送り状、持高覚、地券改願など。
否撮カードは5枚、経典類・良乗葬儀記録・庫裏普請記録など。
県史収載
資料編9 P.991-1000 23点、通史編2 P.526・P.579・P.631・P.794・P.801・P.936・P.954・P.969、通史編3 P.762
県史以外の収載
『大飯郡誌』、『越前若狭古文書選』、『高浜町史 資料編 古文書』(高浜町史編さん委員会 2020年 高浜町教育委員会)
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
Q0205~Q0214
関連資料一覧
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