市瀬吉坂家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
Q0027
資料群名
市瀬吉坂家文書
地域(近世,行政村,現在)
大飯郡和田村,和田村和田,高浜町和田
資料の年代
1654年(承応3)~1930年(昭和5)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
和田村は片間川流域に面し、北境は高浜湾に面する。中世は和田荘に属した。小浜藩領で、村高は「正保郷帳」で778石余、「元禄郷帳」「稚狭考」で797石余、「天保郷帳」で810石余であった。1807年(文化4)の家数は223軒、大飯郡では高浜村に次ぐ大きな村で小浜藩の陣屋も置かれていた。
市瀬家は江戸時代初期から和田村の庄屋を務め、代々吉坂を名乗っている。
資料群の概要
当家の文書は近世文書約110点、近代文書約20点である。
近世文書は(1)土地・貢租、(2)製塩、(3)交通、(4)巡見使、(5)社倉、(6)その他など多岐にわたる。
(1)には名寄帳や1667年(寛文7)から1807年(文化4)にかけての年貢免状などがある。
(2)では近世を通じ、塩年貢386俵を上納する郡内最大の製塩の村でもあったことから関連文書が多い。1654年(承応3)の「塩除普請ニ付田地返り目録」は海水流入による塩害から田地を守るための普請に関するものである。57年(明暦3)の「和田村・大嶋村山出入ニ付覚」は塩木不足による薪木伐採で大島村と争論を起こしたときのものである。1701年(元禄14)の「塩年貢上納難儀ニ付願書」によれば、塩師は高持のほか「かじけ」に塩田を割り当てるなどして塩年貢の不足を補っているが、その後次第に生産量が減少して、銀での代納の割合が高くなっていく。
(3)では、当村が小浜と丹後・丹波を往来する荷物の継ぎ場であったことから、継ぎ荷をめぐる馬借の争論に関する文書がある。また、1805年(文化2)の「謙庵船・和田船一件覚書」をはじめとする資料からは、和田通船がもともと小浜の桑村氏の特権であったところに和田や本郷の船も参加するようになったことから積み荷などをめぐって争論が繰り返されることになったことがわかる。これについては小浜市立図書館(桑村家旧蔵)文書(O0088)参照。
(4)は巡見使案内覚帳や通筋心得覚など。
(5)は1744年(延享1)に小浜藩が和田村他3か所に社倉の設置を命じ、翌年和田村の社倉が設置された。
(6)には「吉坂年代記」がある。これは1664年(寛文4)-1810年(文化7)の領内あるいは他国の風聞などを書き記したもので、当時の世相を知る上で興味深い資料である。
近代文書は1871年(明治4)の「社倉納米之覚」など社倉に関するものがある。
否撮カードはない。
利用条件
 
県史収載
資料編9 P.901-945 22点、通史編4 P.321・502
県史以外の収載
 
複製本番号
Q0307~Q0311
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。