村松喜太夫家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
Q0001
資料群名
村松喜太夫家文書
地域(近世,行政村,現在)
大飯郡上下村,本郷村本郷,おおい町本郷(大飯町)
資料の年代
1583年(天正11)~1908年(明治41)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
上下(うえした)村は佐分利川河口左岸に位置し、丹後街道が通る。小浜藩領で、村高は「正保郷帳」によれば田方647石余、畑方57石余の704石余、「元禄郷帳」「稚狭考」は710石余、「天保郷帳」「旧高旧領」は715石余。
村松家は代々喜太夫を称し、庄屋など村役人を務めた。また、明治期の当主安太郎は1890年(明治23)-91年、93年-95年に本郷村長を務めた。
資料群の概要
調査点数は約1300点にのぼり、(1)上下村の庄屋文書、(2)村松家の私家文書からなる。
(1)には、写も含めると1635年(寛永12)から1844年(天保15)にかけての年貢免状のほか、検見・家作・伐木・救恤・参詣・神社修復等各種の願書類、郷方役所からの達し、天明・天保飢饉の記録、1789年(寛政1)の巡見関係の記録、71年(明和8)から1850年(嘉永3)にかけての野尻銅山関係資料などがある。野尻銅山は1760年(宝暦10)、小浜藩によって開発が始まり、71年いったん休山したが、1841年(天保12)住友家によって再び採掘が始まった。のち経営難などから小浜藩直営となり、70年(明治3)まで存続。銅山が再興されると、馬借・肴屋・茶菓子商売・髪結等を始めるものがいる一方で、煙・悪水により桐実やその他の作物に被害が出たため、休山や救済願、住友家に償金を求める願書などが見られる。銅山関係では荒木新輔家(Q0063)・渡辺源右衛門家(Q0067)も参照されたい。
(2)は、炭焼、漁業(鮭)、素麺、紺屋、酒造、通船等種々の営業に関するもの、調達金、講など多岐にのぼり、大量の売券、借用証文が含まれる。
近代資料には1890年代を中心とした多数の書簡・ハガキがあり、衆議院議員選挙に関わって県会議員時岡又左衛門(のち衆議院議員も2期)や白崎市太郎、伊崎源六(のち加斗村長)らとの交流を示すものも含まれる。
第1次調査の否撮カードは7点、1890年(明治23)の本郷公民会規約、明治期の金銭出納簿、本郷村役場の書類帳簿引継目録など。第2・3次調査の否撮カード無し。
利用条件
 
県史収載
資料編9 P.1051?1100 35点、資料編11 P.144?148 10点、通史編3 P.319・P.784、通史編4 P.220・P.240・P.346・P.483・P.502・P.613・P.653・P.660・P.689-691・P.695・P.738・P.751、通史編5 P.214・P.387
県史以外の収載
『小浜市史』『大飯町誌』、小葉田淳「鉱山稼業とその周辺」『史林』57-1、同「若狭三光銅の大坂廻送と銅座売上」『住友修史室報』8・9、山口久三「野尻銅山と地方産業」『若越郷土研究』15の3
複製本番号
Q0001~Q0002、Q0419~Q0506
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。