管理セクション
福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
P0042
資料群名
谷川左近家文書
地域(近世,行政村,現在)
遠敷郡納田終村,奥名田村納田終,おおい町名田庄納田終
資料の年代
1325年(正中2)~1870年(明治3)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
納田終村は南川最上流山間部に位置する。小浜藩領。村高は「正保郷帳」で339石余、「元禄郷帳」「天保郷帳」で347石余。中世には納田給とも記された。
古代から陰陽道・天文道の家として著名な土御門家(安倍氏)15世安倍有宣は1513年(永正10)、当地を知行分として与えられたことから、その子孫(有春・有脩・久脩)が1600年(慶長5)まで当地に居住、泰山府君(道教の神、また人の生命や禍福をつかさどる神)を祀った。
谷川家はその後泰山府君の具官(御社守)を務めた。明治期には神官となっている。
古代から陰陽道・天文道の家として著名な土御門家(安倍氏)15世安倍有宣は1513年(永正10)、当地を知行分として与えられたことから、その子孫(有春・有脩・久脩)が1600年(慶長5)まで当地に居住、泰山府君(道教の神、また人の生命や禍福をつかさどる神)を祀った。
谷川家はその後泰山府君の具官(御社守)を務めた。明治期には神官となっている。
資料群の概要
調査資料は80点、うち中世資料13点、近世資料62点、明治期の資料5点である。
中世資料では泰山府君都状が8点ある。上述のように泰山府君は人の生命や禍福をつかさどる神であり、それをまつる泰山府君祭は陰陽道では重要な修法である。これは鎌倉時代から武家・公家で盛んに行われ、名田荘内上村(納田終)は北朝からその祭祀料として土御門家に知行があたえられたものである。都文はその祭文の一つであり、朱筆で書かれている。
近世資料は(1)陰陽道関係が中心で、一部(2)村方関係がある。
(1)には土御門家出入の免許状、烏帽子・手繦等の着用免許状、安倍氏の祖(清明)八五〇年忌関係の触、陰陽道暦などがある。
(2)には1756年(宝暦6)の惣作場をめぐる出入り、1850年(嘉永3)の禅定寺持山をめぐる久保村他4か村(現大飯町)との出入りに関する願書などがある。
明治期の資料は陰陽道関係では土御門家出入の免許状、烏帽子・手繦等の着用免許状、取締役申渡状があり、その他は高札の写である。
否撮資料は4点。内容は木版刷りの神社縁起と祝詞の断簡。
中世資料では泰山府君都状が8点ある。上述のように泰山府君は人の生命や禍福をつかさどる神であり、それをまつる泰山府君祭は陰陽道では重要な修法である。これは鎌倉時代から武家・公家で盛んに行われ、名田荘内上村(納田終)は北朝からその祭祀料として土御門家に知行があたえられたものである。都文はその祭文の一つであり、朱筆で書かれている。
近世資料は(1)陰陽道関係が中心で、一部(2)村方関係がある。
(1)には土御門家出入の免許状、烏帽子・手繦等の着用免許状、安倍氏の祖(清明)八五〇年忌関係の触、陰陽道暦などがある。
(2)には1756年(宝暦6)の惣作場をめぐる出入り、1850年(嘉永3)の禅定寺持山をめぐる久保村他4か村(現大飯町)との出入りに関する願書などがある。
明治期の資料は陰陽道関係では土御門家出入の免許状、烏帽子・手繦等の着用免許状、取締役申渡状があり、その他は高札の写である。
否撮資料は4点。内容は木版刷りの神社縁起と祝詞の断簡。
県史収載
資料編9 P.875-885 16点
県史以外の収載
「若狭国古文書所在目録(七)」(『若狭』第十号)、『わかさ名田庄村誌』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
P0209~P0210
関連資料一覧
縮小画像の表示/非表示
表示
件
表示順